科学の世界の才能教育
2011年 09月 09日
やましたひでこ氏の提唱する『断捨離』という片付け術によれば、「片付け」とは「整理整頓」ではないという。
まず、本当に自分にとって必要なものかどうかの取捨選択をすることが「捨」で、余分なモノを増やさないで断つのが「断」。
この2つが伴わなければ単なる「整理整頓」であって、またすぐに元の状態に戻ってしまう……。
「離」とは、そうやって得られた、モノに囚われない心の境地らしい。
思い至ること多々あり、とにかくこの「断捨離」教に入信することにした(笑)。
とりあえず、自宅は一部屋を除いて大きく改善。
オフィスも早くその状態まで持って行きたいのだが、まだ時間はかかりそう……。
「片付ける」のはほとんど「捨てる」に近い。
「これは将来使うかも」とか「これは大事な記録(思い出)だから」とか「これは高価でもったいない」というモノへの執着があると捨てられないが、「今の自分に必要か」で判断していく。
つまり、積み上がった書類で本当に自分に必要なものはほとんど無く、某機関から送られてきた年間活動取りまとめ冊子やら、大学事務からの書面での連絡(これは学内イントラネット整備によって、かなり減ったのだが、それでもまだある)やらは速攻でゴミ箱へ……。
だったら、すぐに捨てればよいのだが、つい、とりあえず、スペースがあると置いてしまう。
……そんな片付けをしていたときに、ちょっと発掘したものがあった。
昨年度発行された「平成20年度高等学校理科教員実態調査報告書」 と「理科教育支援検討タスクフォース才能教育分科会報告書」だ。
前者は2006年のOECDによる生徒ノ学習到達度調査(PISA)の結果などから、「日本の高校生の科学に対する意識が国際的に低い水準にある」ことから、初等中等教育段階での理科教育の現状と課題を把握するために行われた。
ある意味、予想通りに、「生徒による観察や実験を月に1〜3回程度かそれ以上実施している教員の割合は、普通科の物理、生物で約2割、化学で約3割に留まっており、その理由としては授業時間の不足、準備や片付け時間の不足、入試対応による時間の不足、設備の不足などとなっている。
また、興味深いこととして、担当する科目が好きだと感じている生徒の割合が多いと回答した教員では、観察や実験についての知識や技能、探求的な活動の指導技術に自信を持っている、という相関性がある。
つまり、教えることに自信が無いと、生徒からポジティブに思ってもらえていない、と感じやすい訳だ。
(これは一般的な人間の心理ですね……)
理系の科目に自信の無い先生が多かったら、そういう進路を目指す生徒が少なくなってもおかしくないし、そもそも科学への興味も減る可能性があるだろう。
「理科教育支援検討タスクフォース才能教育分科会報告書」の方は、いわば「理数系の英才教育」はどうしたらいいか、という検討について。
スポーツだって、芸術だって、小さなうちから努力させて才能を発見しようという試みは世界中で行われている。
だったら、科学の分野でも同様にできないか?ということだ。
「科学技術分野のヒーロー、ヒロイン」に我が国の将来の夢を託したい。
とくに数学などは若いうちにしか大発見はできないというし、積み重ねが必要な分野であればこそなおのこと、早いうちからインテンシブな教育をした方が効果が高いのでは、という訳。
この問題は、なかなか難しく、飛び級などで英才教育をした生徒で、周囲と合わなくて挫折するなどのケースは実は多々ある。
でも「お受験」のために子どもを幼児教室に通わせるのではなく、その子どもそれぞれの個性や才能を活かすために、早くからいろいろな刺激を与えることには意味があると思う。
今の普通の教育体制は、平均値に合わせて、才能の芽を摘みがちであることが問題だ。
【参考サイト】
「理科教育支援検討タスクフォース才能教育分科会」審議経過
平成20年度高等学校理科教員実態調査報告書(PDF)
理科教育支援検討タスクフォース才能教育分科会報告書(PDF)