ジュンパ・ラヒリ
2005年 08月 14日
こういうときに焦っても始まらない。
教養の授業で担当した「体と健康」のレポート採点を片づけた。
150名くらいはあったかと思うのだが、そのうち数人はweb siteからの完璧なコピペだった。
授業の最初に「レポートの書き方」の説明で、コピペは不可と言っておいたのだが、きっと出席していなかった学生なのだろう。
まあ、昔にも「レポートを写す」ということはあったが、手書きで写す、ということは一旦インプットし、アウトプットするという作業なので、オリジナリティーは無いとしても、まだレベルが違う。
(そうでなかったら、何故「写経」の意味があるだろうか。)
仮に教科書を「丸タイプ」したとしても、まだマシだ。
作家を目指す人たちが、自分の良いと思う文章をひたすらタイプして、そのリズムや言葉使いを消化するというのはよく行われている。
絵の世界なら、過去の名作をスケッチするのに相当するだろう。
スケッチするのと、ただ写真に撮って印刷するのでは大違いだ。
インターネット時代のレポートというのは難しい。
教師側がまだ十分その対応に慣れていないということもある。
手書きのレポート(「調べ学習」という言い方もあるらしい)から、いきなり何のルールも教えられずに、コンピュータを使ってレポートを書けと言われたら、さぞかし困ることも多いだろう。
ごく一般的に、論文形式の日本語は段落の冒頭を1文字空ける、などのルールさえ知らず、自分のためのノートか、あるいは「参考書スタイル」かと思うような箇条書きだけで綴られているものも結構ある。
よくあるイントロは「これこれに興味があったので、調べてみました。」というオチになっているもの。
「んなことは分かってますよ。これは<レポート>なんだから・・・」と言いたいところだ。
医学部1年生後期の授業で「細胞生物学」を担当しており、こちらではかなりしつこくレポートの書き方を説明し、講評を付けて返却することにしているのだが、今回は人数も多いのでフィードバックは諦めた。
さて、勧められてジュンパ・ラヒリの短編集『停電の夜に』(新潮文庫、訳者は小川高義)を読み始めた。
プロフィールによれば「1967年ロンドン生まれ、両親はともにカルカッタ出身のベンガル人。幼少の時に渡米して、ロードアイランドで成長する。O・ヘンリー賞、ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、そして2000年にピューリッツァー賞受賞。」とのこと。
アメリカの現代作家で読むのは、パトリシア・コーンウェル(数年前からそろそろ筆に勢いがなくなってきたが)などの女流推理小説が多く(そもそも、ある本が面白いと思うとその作家の本をあるだけ読み尽くすという質なので)、あまり畑の違う作家を読んでいなかった。
とくに、翻訳本は訳者の日本語と折り合いが悪いと、なまじ原文が浮かんできそうな気がするだけに、ちょっとウンザリしてしまうから難しい。
このラヒリの短編は不思議な独特の雰囲気がある。
それは、筆者の経歴やインド系の血筋によるものも多分にあるのだろうが、なんというか、取りあげられている人間模様が現代的で、終末が読者の予想を裏切ってアイロニカルなためなのかもしれない。
何気ない日常が淡々とした筆致で綴られていき、読者は一体どこへ連れて行かれるのだろうという気持ちになる。
ボストン方面に縁の深い方には、いくつかの物語の舞台になっているのでより楽しめるかもしれない。