クローンワンちゃんと「私」

2005年8月4日号のNatureの表紙には「クローンワンちゃん」が現実となっていることが載っており、映画『シックス・デイ』(原題はThe Sixth Day)を思い出した。
アーノルド・シュワルツネッガー主演のSF映画だ。
バイオ技術の進歩により、愛玩するペットのクローンが作れることが当たり前になった近未来の設定。
ヒトのクローンを作ることを禁止する「6d法」が破られて、主人公アダムが帰宅すると「もう一人の自分」が家族とともに誕生日を祝っている、というシーンから物語は始まる。
ちなみに、「6d法」の謂われは、神が天地を創造し人を作ったのが6日目というキリスト教世界観に基づくのだが(このあたりの感覚は、輪廻転生の文化を受け継いでいる私には理解しがたい)。

生物学的には「一卵性双生児」は互いに互いのクローンだ。
現在の定義では、クローンとは「同じDNA組成を持つ個体」ということになっている。
ただし、現実にはもっと「エピジェネティック」(日本語の定訳は「後成的」というのだが、訳しても意味が分かりやすくなる訳ではない典型かも)な違いがあって、例えば、可愛い飼い猫のミケちゃんが(今時、そんな名前を付けたりしないか)三毛猫だったとして、それとまったく同じ三毛模様のクローン猫を作ることは難しい。
なぜなら、三毛猫の模様を決定するのはX染色体という性染色体の上に乗っかっている色素の遺伝子なのだが、これが皮膚の細胞の1個1個でランダムに「不活性化」されているのだ(X-innactivationすなわちLyon theory)。
つまり、その遺伝子のスイッチがオンになったりオフになったりするのが遺伝的に規定されておらず、仮にクローンを作っても、三毛猫の模様は神のみぞ知る! ではなくて誰も知らない! のだ。
もちろん、一卵性双生児の方達は同じ個体とはみなせない。
生まれてからの環境にどんな風に曝されるかには、DNAで決まらない不確定要素が多々ある。
私の知っている一卵性双生児の若い友人アキコさんとマキコさんは、「生まれてから、身長と体重が1割違ったことはないんですー」と言っていて、実際そっくりの声音と言葉遣いで話すので、同じ髪型で同じ服を着ていたら本当にどっちがどっちか見分けがつかないくらいなのだが(ボーイフレンドは困るかも)、たぶん、どこに黒子があるか、とか、どこに昔転んだときの痣が残っているかなど、身近な人なら見分けるポイントを知っているだろう。
そしてもちろん、どんなことを経験したかという記憶は脳の中に違った形で書き込まれているはずだ。

仮にいろいろな臓器を再生することができるようになったとして(ハリー・ポッターの世界では、ハリーの腕は箒に乗って行うクィディッチの試合の後「骨抜き」のふにゃふにゃになってしまっても、「骨生え薬」を飲んでまた生えてくることができたが、これは今後再生医療が進んだとしても、ちょっとあり得ないだろう)、脳の再生が何を意味するのかというのは脳科学者でなくても気になるところ。
でも、再生するにせよ、何かデバイスを植え込むにせよ、脳の中では絶え間なく経験、すなわち環境とのインタラクションによって書き換えが行われている。
つまり生物学的には、ニューロン間の連結であるシナプスが新しくできたり、強固になったり、つなぎ替えられたりする。
だから、私の生物学的脳を使って考えると、「私とまったく同じ脳」を作ることは天文学的に低い確率としか思えない。
数学科の友人は「人間であった私と完全に同じ機能,同じ思考パターン,学習能力を備えた新しい「私」を人工物で作ったら、それは人間だろうか?」という問いかけをしてきた。
もし、そういう「私の脳」を持った限りなく人に近い機能を持った物体が存在していたら、それは「私」とイコールだと認めても構わないが、私にはその確率が「ほぼあり得ない」と感じられるので、「あり得ない」と言ってしまうだろう。
by osumi1128 | 2005-08-17 23:53

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