クオリアということ
2005年 08月 22日
今回は初日のメインイベント、DNAのふわふわした糸を見る、というところは無事に通過した。
やれやれ・・・
さて、昨日の投稿とそれに対してに頂いたコメントから、とあることを思い出した。
高校時代の夏休みに美術館でデートしたことがあった。
もしかすると美術館ではなく、デパートの特別展示だったかもしれないし、そのとき見たのは東山魁夷だったような気がするが、それも定かではない。
ひととおり巡ってから、お茶をしに喫茶店に入った。
何故そんなことを聞いたのかも分からないのだが、遠くでウエイトレスが運んでいるジュースを見て「あれってトマトジュースだよね?」と聞いたところ、「ああ、どうかな? 僕、色盲だから分からないんだよね」という答えが返ってきた。
私はそれに対して何と答えたのか、まったく覚えていない。
ただ、鮮明に記憶しているのは、彼に見えていたものと私が見ていたものが恐らく違うのだ、という言いようのないショックであった。
一緒に並んで絵画を見て、時間と経験を共有していたつもりが、そうでないことを知ってしまった。
たぶん、生まれてから十数年間、世の中の他の人たちの感覚は自分とさほど違わないと思ってナイーブに生きてきたのだと思う。
日本人男性の5%は赤や緑の色の識別が困難であるのだが(下記URL参照)、そういう自分と異なる感覚の人たちのことを意識せずにいたことが、何か非常に恥ずかしく負い目に感じられてしまった。
それまでも、例えば「嗅覚」や「味覚」はかなり人によって違うことを経験的に知っていたと思うのだが、「色覚」というものはもっと絶対的なものだと信じていたのが、根底から崩れ去ったという意味で、大きな意味を持つ出来事であった。
http://www.watsonkun.com/shujunsha/barrierfree1-5.html
世の中には逆に、第4のオプシン遺伝子を持つ人が稀にいるという。
そういう人は、微妙な紫色の感覚が優れているそうだ。
たぶん、赤紫、藤色、桔梗色、菫色、菖蒲色、などの色の違いを識別しやすいらしい。
まさに違うクオリアを持っているのだといえよう。