ISSCR2012に出席して(その1):幹細胞研究の意義

夏が近づくと首都圏の人々が「そうだ東北へ行こう!」という気持になるのか、東北地方の人々も長い冬と慌ただしい春を過ごした後に外に出ていくモードに入るのか、この週末の東北新幹線はかなり乗車率が高かったようだ。
とくに、E5系という新型車両の列車は人気がある。
エメラルドグリーンを基調にして、ピンクの流れるようなストライプが斬新なイメージ。
当初は「はやぶさ号」のみがこの新型車両で運行されていたが、今は「はやて号」、「やまびこ号」の一部にも新型車両が投入されている。

さて、仙台と行ったり来たりしながらの参加ではあったが、パシフィコ横浜で開催された国際幹細胞学会(ISSCR)の第10回目となる年次大会に行ってきた。
今回の大会長はソーク研究所のFred Gage先生で(写真下の左端)、彼はかなりの日本好き。
例えば、網膜病変に対する幹細胞治療の最前線に立つ高橋政代さんなど、彼の研究室でポスドク時代を過ごした日本人も多い。
参加者は3500名越えで、創薬や再生医療にも関係するために、スポンサー企業の参画も大きく、普段私が参加する学会から比べたらゴージャスな印象。
メイン会場も、会議センターの大ホール(2000名規模)ではなくて「国立大ホール」(3000名規模)だし。
(昔、このホールって「国立大」とどういう関係なのかしら、と思ったことがありますww)
さらに、3日目の夕方に行われた式典には天皇皇后陛下ご臨席で、Rusty(Gage先生)は「結構緊張したけど、感激した!」と仰っていらした。
「来年はボストンで開催だけど、どうしたらいいんだ? オバマを連れてきてもなぁ……」とも。
まぁね、ローマ法王よりも格上の天皇陛下に勝てる王族はいませんし(微笑)。
「日本は首相が取っ替え引っ替えのところを、皇室が補ってますから……」と言っておいた。
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(画像は岡野先生から掲載許可を頂きました。)





さて、幹細胞というのは「タネのような細胞」と説明することが多いが、新たに細胞を生み出すことができる細胞だ。
この細胞があるから、皮膚の細胞は最終的に垢となって剥がれ落ちても、因幡の白兎さんになることはない。
普段、目には見えないけど、腸だって日々、食べ物が通過して傷つくのを、幹細胞から作られる上皮細胞が補って恒常性が保たれているし、血液の細胞も骨髄にいる幹細胞から黙々と作られ続ける。
でも、幹細胞は大人の身体にだけ存在しているのではなく、胎児の時代に身体を作る元となっており、さらに遡ればそれは受精卵という1個の細胞に行き着く。
受精卵に近い細胞ほど、今後の運命の幅が広く、それは専門用語では「全能性」と称される。
全能性のある幹細胞は、徐々に分裂しつつ子孫の細胞を作りながら、神経系なら神経系に特化した「多能性」の幹細胞に変化していく。
多能性幹細胞はそれぞれの持場に必要な、機能に特化した細胞を生み出しつつ、自分自身も維持し続ける(そうでないと、タネが無くなってしまう)。

このような「プログラム」を逆行させたのが、山中伸弥さんの「リプログラミング」技術だ。
4つの鍵となる遺伝子をマウスの皮膚の細胞に導入して、いわば時計のネジを逆回しにして「全能性幹細胞」化したことがCell誌に掲載されたのが2006年のこと。
その後、ヒトの皮膚の細胞でも追試され、世界中の研究室で再現性が確かめられ、もっと簡単に、もっと安全に、もっと大量に人工幹細胞を得るための技術が開発されていった。
付け加えておくと、山中さんのiPS細胞だけでなく、すでにノーベル賞受賞対象となったES細胞(胚性幹細胞)も人工幹細胞の仲間だ。
ES細胞を作るにはごく初期のヒトの胚を用いなければならないところが、倫理的な問題を生み出している。

一般の人々にとっては、このような人工幹細胞を利用して、機能が失われた心臓の細胞を置き換えることや、脊髄損傷を根本的に直すことにもっとも感心があるかもしれないが、ヒト人工幹細胞は、例えば薬の開発においてその安全性を調べることにも使うことができる。
マウスなどを用いた動物実験をした後、実際に人間に投与して確かめる「治験」の前に、ヒト人工幹細胞から作った心臓の細胞や肝臓の細胞で、薬の効き方や副作用を調べて、問題があればそれを除外することによって、薬の開発コストを下げたり、治験の安全性を高ることになる。

だが、生物学的には、「リプログラミング」の問題はもっと根源的なものである。
ハンプティ・ダンプティはマザーグースのお話だが、「元には戻らない」のが生物の掟であるはずのところ、その「掟破り」の仕組みはいったいどうなっているのだろう。
あるいは、幹細胞に変異が入って「癌幹細胞cancer stem cells」が生まれることが、腫瘍の発症に繋がる訳だが、幹細胞から正常な細胞が生まれるプロセスや、そこから逸脱するシナリオを、もっと理解する必要がある。
「切っても切っても再生するプラナリア」には、全身に幹細胞が散らばっているにも関わらず、きちんと再生して腫瘍が生じないという現象には、癌を予防するための研究の糸口があるのではないか?

ちなみに、日本には「幹細胞学会」という名前の学会は存在しない。
「幹細胞シンポジウム」という形式で毎年、「学会的イベント」が開催されるが、これは法人格を持たない運営方式。
私は自分の研究の基礎を発生生物学(と細胞生物学)によって築いてきたので、「幹細胞っていったら、発生の一部でしょ」と思ってしまうが(笑)、日本の発生生物学会は動物学会から分かれてできた、という経緯もあり、必ずしも幹細胞研究者はメジャーではない。
一方、炎症学会からできた炎症再生学会や、再生医療学会に所属する研究者には幹細胞研究を行なっている人は多いが、これまた「発生って、なんかオーガナイザーとか誘導とかもモルフォゲンとか、概念的なことばかり言っていて、わかりにくい」と思っていたりする。
両方共に、もっと仲良くしたら、日本のサイエンスがさらに強くなるかもしれないのにね。
by osumi1128 | 2012-06-17 13:19 | サイエンス

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