アイディアもシェアしてナンボ!
2012年 06月 22日
その直弟子の方によれば、アイディアがあっても、それを完遂してこそ良い研究だということが本意なのらしい。
たしかに、どんな素晴らしいアイディアでも現代では「証明してナンボ」なので、そのために(我々の業界であれば)実験を組まなければならない。
その難易度はますます高くなってきていて、Cell, Nature, Science(通称CNS)のようなハイ・ジャーナルに通そうと思ったら、昔の3倍以上の実験をしなければならない時代だ。
しかも、より最先端で、より多角的なアプローチが必要であり、そうなると研究室が3つ、著者が10名を超えることもしばしば。
研究資金も大量に必要となる。
キャリアの入り口に立つ学生さんには、「自分だけの宝物」のような研究がしにくくなっているかもしれない。
私は「アイディアはチープだ」とは思わない。
それは、論文を出すこと(それが研究者の仕事ではあるが)がすべてだと思っていないからだ。
私だけの力でできることが限られているなら、むしろアイディアはシェアした方が良い。
アイディアを出した者として共著者に加えてもらえれば有難いが、謝辞であれ、あるいはそうでなくても、誰かが証明して科学が進めば、私にとってそれが喜びだ。
セミナーや授業のときにも、なるべくそんな未開拓なアイディアを話すことにしている。
アイディアこそが科学を変える。
アイディアによって人は繋がる。
……というブログを書こうと今朝、思ったのだが、それは起きがけに、「幻聴や幻覚がどうして起きるのか」について、何かひらめいた気がしたからだ。
「脳内で創りだされた<声>や<像>」と「自分の外から入ってきた<声>や<像>」の区別が悪くなっている状態が「幻聴・幻覚」なののだとしたら、それをどうやって証明したら良いのか思いついた気がした。
「気がした」というのは、悲しいかな、そのときの鮮明な感覚が、これを書いている夕方までの間に薄れてしまったのだ(溜息)。
たぶん、自分の中で創りだされた方が、介するシナプスの数が少なくて、その処理が短い、という仮定を立てて、外来のものと何らかの反応の時間差で判別できるのではないか、というようなことを考えたのだと思う。
もっとも、そのような人間相手の実験は、私自身は行ったことは無い。
だから、誰かにアイディアを話して、実現化しないかな、と思った次第。
どなたか、どうやったら証明の実験が組めるか、考えてみませんか?