閖上に行ってきた
2012年 08月 05日
この漢字は仙台藩の第4代藩主・伊達綱村が新たに作ったものと言われている。
曰く、綱村が大年寺(太白区)を訪れた際に、その山門から東を望み、門の中に水が見えた地の名前を訊ねたところ「ユリアゲ」ですと家来が答え、「では、門に水と書いて閖上と書くように」と言われたとのこと。
昨年の東日本大地震に伴う大津波により、この地は壊滅的な被害を受けた。
その現在の様子を、8月3日の金曜日、日本学術会議第二部夏季部会でお集まりの先生方とともに視察に行ってきた。

元の状態を私自身も実際に見たことは無かったのだが(下記動画参照)、神社があったらしい丘から見渡す限り、民家があったと思しき家の基礎のコンクリートばかりが残っている。
津波はこの丘(海抜6メートル)よりはるかに高く、8メートルに達したという。
この土地に住んでいた方々は、どちらに移られたのだろうか……?
先日訪れた仙台のお寿司屋さんで、閖上で上がったという鯖を美味しく頂いたので、少しは港も戻ったかと思ったが、実際に来てみると「復興なお遠し」ということを実感した。
閖上を視察した後に、長町というところの仮設住宅も(住民のプライバシーの問題もあるので)バスの中から眺めた。
長屋のように繋がった建物の前にプランターなどが出ていて、確かに人の営みがあることに少しほっとしつつも、2年ほどの間に本当に自分の家と呼べるところに移ることができるようになってほしいと思った。
夏季部会にともなって午後に行った市民公開講演会では、日本学術会議からの東日本大地震関連の提言についても披露されたが、それらが実際のアクションに繋がることを切に望みたい。
震災後に植えられたという桜の樹が数本あったが、そのうちの1本は今、転地療養中とのこと。
桜が元気になって戻ってくるまでに、この土地の新しい形が見えていてほしいと切に思った。

【参考リンク】
日本学術会議第二部・東北大学主催市民公開講演会「東北地方の復興・新生に向けて:アカデミアの果たす役割」(8/3開催)
日本学術会議からの各種提言(2012年4月9日分参照)
閖上の津波の様子(YouTube動画)3月11日 閖上中学校からみた津波