ガードン&山中ノーベル賞受賞と『いのち 生命科学に言葉はあるか』【加筆しました】
2012年 10月 09日

ちょうど『いのち 生命科学に言葉はあるか』を読み終わって、書評を書こうと思っていたタイミングで、10月7日、2012年のノーベル生理学医学賞の受賞者発表となり、ジョン・ガードン卿と山中伸弥さんの共同受賞となりました。
『いのち』が書かれたのは2005年、ちょうどヒト胚性幹細胞(ES細胞)が作られた頃で、エポック・メーキングなTakahashi & YamanakaのCell誌の論文が出たのが2006年です。
「生命の萌芽」である「ヒト胚」を「滅失」して作られるES細胞には、種々の倫理的問題があるのに対し、基本的には体のどんな細胞からも作ることができる誘導多能性幹細胞(iPS細胞)は、将来、移植医療に応用する際の倫理的問題を回避することになるので、翌年2007年にヒトの皮膚の細胞からiPS細胞が作られたときには、ローマ法王も山中さんにお祝いの電話をした、という逸話があります。
ガードン先生の研究も、発生生物学のどの教科書にも載っているもので、最初に為されたのは20代の頃、1950年代です。
遺伝情報がDNAであることが肺炎双球菌でようやくわかったくらいの頃に、「核移植」というテクニックを使って、カエルの胞胚の細胞の核を、UV照射でDNAを壊した別の胚に移植して発生を進ませ、確かに遺伝情報は移植された「核」に由来することを示したのは、確かに先駆的でした。
このテクニックが、有名なクローン羊、ドリーの誕生に繋がります。
ちなみに、英国はとくに哺乳類の初期発生の研究についての伝統があり、ES細胞を用いて「遺伝子ノックアウトマウス」を作製する技術において不可欠な「キメラ胚作製」という技術の開発には、日本国際賞を受賞されたアン・マクラーレン先生などが大きく関わられました。
2003年のノーベル生理学医学賞の受賞対象はこの「遺伝子ノックアウトマウス」作成技術だったのですが、相同組み換え技術をベースにしているので、マリオ・カペッキ博士、マーティン・エバンス博士、オリバー・スミシーズ博士の共同受賞となり、エバンス博士とともに最初のES細胞の論文を出されたゲイル・マーティン博士は受賞対象から外れたことは残念でした。
核移植とES細胞技術を組み合わせれば、理論的に「ヒトのクローンES細胞」、つまり、「マイES細胞」ができる訳ですが、これを達成した、という韓国のファン・ウソク博士の論文が実は捏造だった、というのも、この分野で世界中がしのぎを削っていたことの証といえるでしょう。
『いのち』が発行された時点では、まだ捏造が発覚していなかったのですが、この本では、最先端科学技術に内包される生命倫理の問題について、多様な方々へのインタビューを通して取り上げられています。
ベースとなるのは、人間が自分の欲望のために「いのち」を「利用」してもよいか?という問いです。
一つの技術が生まれれば、それを他の方が違う目的にも使うことが可能です。
「誰でもできる」ようになる技術こそが、個人の技ではなく技術革新であり、人類の歴史を振り返れば、そういう方向に歩んできたことがわかります。
2010年のノーベル生理学医学賞がロバート・エドワーズ博士の開発された「体外受精」だったのですが、これは元々は不妊治療の一貫としての生殖補助医療でした。
1983年の「ルイーズさん」を最初に、現在までに世界中で400万人の人が体外受精で生まれています。
このときに「必要なくなった」胚を、ヒトの初期発生の研究に利用させてもらえないか、というレベルから、ES細胞を作って、そこから種々の必要な種類の細胞を作ることができないか、さらには、3歳で亡くなった最愛の子どもの細胞から核を得て、クローン技術を利用して子どもを蘇らすことができないか、という願いまで、さまざまな人々がそれぞれの思いを抱きつつ技術は利用されていくものです。
とりあえず「iPS細胞を作る」ところまでは、このような倫理的な問題は避けられます。
iPS細胞は普通の「体細胞」にオリジナルには「山中4因子」と言われる「転写調節因子」を導入して、ES細胞そっくりの未分化な幹細胞が作製されるので、誰かの卵子を使うことも、生命の萌芽を滅失することもありません。
ただし、iPS細胞から精子を作ることに成功した、という事例がありますので、そうなると、もし卵子も作ることができれば、iPS細胞経由でそれらの精子と卵子を受精され、誰かの子宮を使って子どもを作ることも、紙の上では可能と思えますので、これは倫理的な問題が出てきますね。
【加筆】
うっかりしていましたら、マウスレベルですが、iPS細胞から精子や卵子の元になる「始原生殖細胞」の作製は為されており、つい先日、慶応の岡野さんのところで、ヒトiPS細胞から始原生殖細胞が作製されたようです(出典不明)。
ヒトのiPSから精子や卵子になる細胞?作製(10/6)読売online
こちらも出てました。
iPS細胞:卵子を作成…マウスの子誕生に成功 京都大
さて、今回、ノーベル賞の受賞理由は「体細胞のリプログラミング(初期化)による多能性獲得の発見」です。
ガードン先生は、最初の胞胚の核を用いた実験の後、同じ事を、より発生が進んだオタマジャクシの体の細胞を用いて行なってみたのです。
すると、大人のカエルにまで発生する確率は減ったものの、基本的には、発生の時間軸を戻すことができた訳です。
(厳密に言うと、元にしているのはUV照射した卵の方なので、初期化と言えるかどうかは微妙ですが……)
山中さんが体細胞に「リプログラミング」因子を導入してみようと思ったきっかけとなる実験は、日本で初めて霊長類のES細胞を作製した京都大学の中辻憲夫先生のところにいた多田高さんが行ったものでした。
多田さんはES細胞と体細胞を融合すると、体細胞が「初期化」されて、幹細胞的なキャラクターを獲得することを見出していたのでした。
このことを、「ES細胞の中に初期化因子がある」と読み替えて、種々のスクリーニングを行った結果が2006年のCell誌でした。
蓋を開けてみると、最低限必要な4因子はどれも「転写制御因子」という仲間で、いわば「オーケストラの指揮者」のように、子分の遺伝子たちを働かせる機能を持っています。
普通の線維芽細胞に転写制御因子を導入して筋肉細胞に変換できることを見出したのはハロルド・ワイントラウブ博士であり、筋肉誘導因子MyoDを発見するのに用いたアイディアは彼が1991年にScience誌に発表していますが、これは山中さんたちの研究にも繋がるものといえます。
つまり、どんな研究であれ、突然のひらめきで生まれたものではなく、そのもとになる成果や、実現可能にする既存技術があるのです。
(ワイントラウブ博士は残念ながら1995年に亡くなられました)
ともあれ、今回のノーベル委員会の決断は、iPS細胞の応用的側面に対してではなく、「初期化」という、発生の根源的なメカニズムの理解に対して与えられたものであり、そのことを一基礎研究者として嬉しく思っています。
同時に、自然の摂理である「発生・分化」という時間の流れを、いわば時計の針を巻き戻すように逆向きにできるという技術は、いわば「プロメテウスの火」のようなものであり、どのように使うべきかについては、科学者も臨床家も社会も議論しつつ見守る必要があると強く感じます。
たまたまのタイミングで読んでいた『いのち』は、そんなことを考えさせる好著でした。
また、生命倫理に関する政府委員会の問題等の指摘も重要なポイントです。
研究の進歩が著しいために、上記ヒトクローンES細胞捏造論文の話題や、iPS細胞のことが含まれていないので、ぜひ続編もしくは加筆再版を望みます。
【新しくノーベル財団のHPに加わった2012年受賞者】
The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2012
John B. Gurdon, Shinya Yamanaka
【仙台通信の山中さん関係過去エントリー】
CREST12シンポジウム〜徳島へ(2008年5月27日)
山中さんに紫綬褒章(2008年11月2日)
山中さんのハーベイ・レクチャー(2009年3月20日)
山中さんラスカー賞!!!(2009年9月15日)(このとき!が3つだったので、今回は5つにしてみましたww)
第26回京都賞授賞式など【画像追加】【北澤先生のツイートまとめ追加】(2010年11月10日)
ISSCR2012に出席して(その1):幹細胞研究の意義(2012年6月17日付けエントリーですが、リプログラミングについて少し詳しく書いています)
拙ブログ:祝山中さんのノーベル医学生理学賞受賞!!!!!
拙ブログ:『ビヨンド・エジソン』にみる12人のロール・モデル【加筆しました】