森口騒動と大学広報

まぁ、絶妙のタイミングであったために、本人の意図以上に注目を集めることになった森口氏の捏造騒動だが、この件は医学系研究科の広報室長を務める身としても、なかなかに考えさせられることが多かった。

いくつかの国内外の科学不正が問題となった後、2006年に日本学術会議から「科学者の行動規範(PDF)」が表出されたが、本年になって発覚したケースが、京都大学の研究費不正使用、東京大学や東邦大学の論文捏造と相次いでいるのはなぜなのか?
ここでは研究費不正使用の話はとりあえず脇に置いて、森口氏の論文捏造の方を考えてみる。
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今回の森口氏のケースの最初の告発は、近い研究分野の研究機関に所属する方が「iPS細胞を使った世界初の心臓移植手術」という10月11日の報道に疑義を挟み(下記リンク参照)、同日のうちにハーバード大学からの否定、国際会議での発表取り下げとなったのだが、さらに、ただちにこれまで発表された論文についても調べられて、疑いがあるものはウェブ上に報告された。
例えばそのうちの1つ、Nature系の姉妹誌であるScientific Report誌に本年7月に発表された短い論文は、iPS細胞関係ではなく卵子の凍結保存のより良い方法を開発したという内容なのだが(全文はまだ掲載されている。下記リンク先参照)、そのFig.1の図の卵子は、「oocyte(卵子)」というキーワードで画像検索すると簡単に見つかる画像を無断で切り取って貼り付けた(コピペった)ものである(上図)。
いったい何本の論文にこのような捏造があるのか、その全貌は現時点では不明だが(現時点の報道によれば6本中5本が黒という)、一事が万事に思えてしまう。

ちなみに、生命科学分野には、ボランティア(?)の論文捏造ウォッチャーがいる。
彼らは、例えばメジャーな雑誌でretract(論文取り下げ)やerratum(訂正)報告された論文があると、そこから同じ著者の論文をくまなく調べあげて、同じ画像の使い回しなどを見つけて、独自のサイトにアップし、それはたちどころに同じ業界の人々の知るところとなる。
つまり、「良いデータを盗んでコピペすればよい」と考えた森口氏よりも、さらに上手の人たちがいるし、調べた結果はすぐさま(別にマス・メディアの力を借りなくても)web上に掲載され、取り下げてもcacheとして出回り続ける時代なのだ。

そもそも、森口氏がこれほどまで「有名」になってしまったのは、2010年頃から、独自に新聞記者に「説明」をして、その内容が十分に検証されないままに大手新聞に掲載されたことによる。
国立大学が法人化されて数年経つものの、いろいろな体制は旧態然としているので、例えば重要な研究成果を「個人的に」記者に説明することを阻止するような規定は存在しない。
(所属人数が万を超える組織であっても、全体の広報が統一されているなんて国立大学は、まだ無いはずだ)
東北大学のケースで言えば、通常は、何か重要な成果(論文発表等)があれば、それをまず、所属の広報室に届けてもらう仕組みとなっているが、今のところ、全学の広報課に所定の様式で届ければ、ほぼ自動的にホームページに掲載される。
広報課には「研究内容」をチェックできる人材はいないので、体裁さえ整っていれば大学の名の下にウェブに載ることになる。
医学系研究科の場合には、「なるべくウチを通して下さい」とお願いしており、必要に応じて記者発表のお世話などをするサービスを行なっているが、それでも論文の「中身」が捏造であることまではチェックできない体制である。
というより、そもそも疑ってかからなければならないような性悪説で仕事をするのは健康に悪い。

もし森口氏がウチの広報室経由でプレスリリースを依頼してきたらどうなるか、ちょっとシミュレーションしてみた。
騒動になった発表は、last authorとして森口氏のかつての師匠が所属していたのが東京医科歯科大学なので、それがうちの大学であったということにしよう。
まず、森口氏は保健学科の卒業で看護師の資格なので、「え? 誰がオペ、執刀したの?」ということになる。
しかも、「え? ウチってiPS細胞使って臨床応用までやっている人っていたっけ?」くらいのことは気づく。
これは、研究科の広報室がHP構築や冊子体の発行、各種メディア掲載の取りまとめを数年来行なってきた実績による。
その時点で、他の共同研究者の確認を取るように動くはずだ。
だが、これがいきなり本学広報課に届いたら、おそらくノーチェックだと思う。

今回のケースは、直接にメディアとのコンタクトなので、現所属先と詐称されたハーバード大学は迷惑至極ではあるが、話を受けたメディアも、もう少ししっかりして欲しいと思う。
本人のpublication listのチェックはもちろんのこと、例えば、iPS細胞を使った研究に関する委員会は公開で行われているので、その委員会を傍聴していれば、現在、日本の中のどこで大事なiPS細胞研究が行われているのかはわかるはずだ。
前評判も無しに、いきなり突然「日本初」のiPS細胞心筋移植手術ができるはずがない。

また、2010年の報道にしろ、上記の稚拙なコピペ論文にしろ、last authorに名前を付ける方の科学者としての倫理観は、大いに問題である。
現状で、うちの医学部や医学系研究科では、生命倫理もそうだが、科学者としての倫理規範をきちんと教えていない。
もちろん、それぞれ先生方が授業の中で触れることはあると思うし(私の場合は、発生学の授業の中で、ヒトクローンES細胞の話を出して、生命倫理と韓国で起きた捏造の話をする)、倫理観は、二十歳を過ぎた大人になってから植え付けることが可能なものなのか、初等中等教育の問題ではないかとも思うが、例えばハーバード大学ではポスドクに対しても1週間程度のオリエンテーションのときに行動規範のパンフレットを渡されて、クレジットの問題、特許申請等の常識や倫理を教わるという。

【追記】
教育担当副研究科長によれば、学部生への生命・医療倫理教育に関しては、3年生に2コマ講義があり、さらに医学教育推進センターが基礎修錬が始まる前に研究公正と臨床研究の倫理を講義することになっているとのこと。
大学院生には、まとまったカタチではないが倫理関係のコマがあるものの、臨床研究倫理の方が中心で研究倫理は少ない。
教員へのfaculty developmentでは扱われていない。

まとめると、森口氏の問題は広報、教育カリキュラム、雇用規定等に関わる問題であり、即刻対応を考える時期と思った。

【関連リンク】
10月11日の新聞報道から研究者が疑義を挟んだ発端の記事:Major Japanese newspaper reports iPS cells already transplanted into human patients at Harvard (Knoepfler Lab Stem Cell Blog)
森口騒動のWikipedia記事:徐々にアップデートされているようです。
Natureジャパンの記者によるニュース:Stem-cell transplant claims debunked
森口氏のScientific Report誌論文(PDF
by osumi1128 | 2012-10-14 15:18 | 科学 コミュニケーション

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