ヒトとロボットの境

2年前のことになる。
とある研究費のヒアリングで自分の研究計画のプレゼンをした直後、選考委員の方から開口一番に「(精神疾患のモデルとなる)病気のマウスを調べて、どうして脳の正常な発達を理解することにつながるのですか?」と聞かれ、目が点になった。
「遺伝子変異を有し、行動異常を示すマウス(実はラット)を調べて野生型と比較することにより、正常な発達の遺伝的プログラムを明らかにすることができると思いますが・・・」とかなんとか答えたはずだが、一瞬何を聞かれているのか分からなかった。
歯学部で6年間過ごしたため、「組織学vs病理学」のように正常と異常(あるいは疾患)は私の中では対になっているし、研究も常に「良い対照を取ること」を第一に考えることが習慣なので、「異常を調べて正常の何が分かる?」という問いは初めての経験であり、思わず怯んでしまった。
(そしてそのヒアリングには落ちた。)

この問いはその後ずっと私の心に棘のように刺さっていて、無意識下できっと何度も繰り返されていたのだと思う。
何故なら、そういう審査員に対して怯まず答えて納得させることができなかったら、その研究費を頂くことは不可能だと直感したからだ。
「異常を調べることが正常の理解につながるということが、どうして分からないのですか?」と直接聞く訳にはいかなかったので、その問いを発した審査員の方のバックグラウンドに近いと思われる分野について勉強した。

よく存じ上げない方だったが、恐らくは心理学系や教育学系の方であったように思う。
確かに、例えば発達心理学では対象となる子供の観察を行うのが基本であり、「正常な(と思われる)X歳児6名」などのデータが綿密に記載される。
私たちにとっては、遺伝的にあまりにばらついている個体の例数が6つでは何も言えないのだが、世の中には違う世界があると知った。
これに比較的似た基準なのは、動物行動学だろうか。
ある種の「実験」を行ってはいるが、常に「対照的実験」が為される訳ではない。
いわば「症例報告」のようなものだ。

その後、工学系で脳研究をしている方達の話を聴くようになり、彼らもまた「対照的実験」は必ずしも必要としていないことを知る。
つまり、「時計が動く仕組みを知りたいのなら、動かなくなった時計をいくら調べても無駄」という訳だ。
だが、ここにはちょっとした理論のすり替えがあると思われる。
「時計が動く仕組み」を知りたい人は、時計をバラバラにして、また組み立ててみるだろう。
そのとき、ある部品の組み立て方が悪いと、時計の調子は悪くなるだろう。
そうして、その部品が時計の正しい機能に必要であることが分かるはずだ。
これは、まさに「ある遺伝子(部品)をノックアウトする(機能を働かせなくする)」実験を行っているようなものだ。
ただし、工学者は「どんな部品が必要か」よりも「組み立てて機能させる」ことにより熱意をもって取り組むのではないかと思うに至った。
つまり「必要条件」よりも「十分条件」に重みがあるように見えるのだ。

さて、『デカルトの密室』を読んだ後、著者の瀬名さんがそこでの議論を参考にされたという「けいはんな社会的知能発生研究会」の編による(瀬名さんご自身も執筆されている)『知能の謎−認知発達ロボティクスの挑戦』を手に取った。
<以下引用>
 ヒトを理解するにはいろいろなアプローチの仕方がある。従来の生物学のように、細胞を顕微鏡で覗き込み、遺伝子配列を丹念に読みとることで、人間という生命体の謎を解明しようという方法もある。細かいところへどんどん掘り下げていくという意味で、これはある研究者からの受け売りだが、土に埋もれた遺跡を探す考古学のイメージに近い。
 いま述べたように、この考古学的なやり方では限界がある。だが、工学的な手法を使えば、今あるヒトの機能を機械で再現することで、ヒトの理解を深めることができる。人間をひとつのシステムとしてとらえたとき、システム総体を扱えるという意味でも工学の手法は有効なのだ。つまりこういうことである。人間を理解するには人間の本質を再現するようなロボットをつくり、それを動かしてみればよいのである。そうすれば私たちは人間の知能に関する仮説を検証できる。(序論より)
<引用終わり>

「ヒトの機能を機械で再現する」というのは紛れもなく工学的アプローチだ。
そしてその際、「ヒトとしての機能とは何か?」という命題に直面する。
すなわち、「ヒトとしての本質」を見極めることになる。
これはむしろ「哲学的」な分野に近い。

では、工学的手法で「ヒトとしての機能」を備えたロボットができれば、それは「ヒト」と見なせるのか?
「ヒトらしい知能」や「ヒトらしいコミュニケーション能力」を持ったロボットは「ヒト」なのだろうか?

これは、前に数学科のKさんと行った議論の蒸し返しに近い。
極論すれば、Kさんは「ヒトとしての機能」を備えたロボットを「ヒトと見なす派」であり、私自身は「それには違和感を覚える派」ということになる。
私が違和感を覚える理由は「ヒト」という定義の中に「ヒト⊂生物」という進化の歴史をひきずってしまうからだ。
今日の私たちは地球誕生の後、数億年して生まれた原始生命体から綿々と途切れることなく続いてきた生き物である。
その事実を軽視することが私には難しい。

<以下引用>
 注意しなければならないのは、お手本にそっくりのモノをつくるということは、お手本と全く同じもの(コピー)を作るというのとは違うということだ。人間と完全に同じものをつくるとしたら、人間の身体をつくっている細胞と物質的に同じものをつくらなければならない。細胞膜に包まれた、DNAやタンパク質の複雑な相互作用のネットワークも再現しなければならないということになる。しかし、私たちが「ヒューマノイド」と言う時には、そのような、細胞レベルまで私たちと人間と同じ存在を想定していない。むしろ、私たち人間の本質は何かという仮説を立てた上で、その本質を再現できるようなロボットを私たちは人間そっくりの「ヒューマノイド」と呼ぶのだ。(アプローチ4より)
<引用終わり>

私にとって「ヒューマノイド」は「ヒト」とは見なせないが、ヒューマノイドの研究には非常に魅力を感じる。
還元論では解きえなかった「人とは何か?」に対する答えが隠されているのではないかと期待するからだ。
何より、「ヒトとしての本質」について熱い議論を交わす土壌が育まれていることを知り、大いに嗅覚を刺激されている。

*****
さて、明日からまた東京出張。
21日にはいよいよ「脳の世紀シンポジウム」。
このプレゼンスライドはかなり気合いを入れてKeynoteで作り、分かり易く目に優しいイラストも数枚プロに依頼して描いてもらった。
どんな反響があるか楽しみだ。
by osumi1128 | 2005-09-19 23:13

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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