「日本版NIH構想」じゃぁだめでしょう
2013年 06月 01日
今日のエントリーは久しぶりに「科学技術政策」という硬派なカテゴリーですが、ここに書かれた意見は生命科学・医学系の基礎研究を行う一個人のものであることを予めお断りしておきます。
あまり表に出てきていませんが、官邸主導で「日本版NIH」なる構想が検討されており、かなり近いうちに閣議決定まで持っていかれるという話が出ています。
まず「NIH」って何?というところから始めると、米国のNational Institutes of Health(国立衛生研究所)という組織で、研究所やセンターの集合体であり、それ自身が多数の研究者を抱えて研究を行うと同時に、他の研究者へもライフサイエンス系の研究費を配分するファンディング・エイジェンシーでもあります。
Wikipedia:アメリカ国立衛生研究所
その研究費は、医療応用から遠い基礎研究にも、トランスレーショナル・リサーチにも、臨床研究にも配られます。
研究者側から見た場合には、研究費の出処はNIHだけではなく、National Science Foundation(NSF)という組織や、Defense Advanced Research Project Agency (DARPA)という国防相管轄の組織からも、採択される内容であれば研究費を得ることができます(その他、ヘルス系では患者団体の研究費なども年々多くなっています)。
ちなみに、歴史的にはNIHの設立の方がはるかに古く、1887年にさかのぼります。
つまり、当時の米国において国民の衛生の向上が重要な施策として位置づけられていたことがわかります。
さて「日本版NIH」ですが、<「日本版NIH」の骨子>冒頭によれば以下のように書かれています。
次の取組により、医療分野の研究開発の司令塔機能(「日本版NIH」)を創設するため、所要の法整備を行う。
(あ、全角なのね……NIH。ちょっとタイプしにくいのでここでは半角で済ませます)
この「骨子」には、なぜ「日本版NIH」を創設しなければならないのかが書かれていないのですが、その背景となるポイントは少なくとも2つあって、1つは、基礎から臨床までの研究が現状でスムーズに繋がっていないこと、2つ目としては、その理由として考えられることが、ライフ・ヘルス系予算が、文科省、厚労省、経産省に分散していることです。
この予算を一元化し、研究を一気通貫で進めるには「日本版NIH」でしょう、と言われているのですね。
ここで振り返りたいのは、NIH予算の規模に比して、「日本版NIH」で想定されているのは約1/10程度、3000億円から3500億円程度だということと(研究者人口としては、ざっくり1/2程度なのですが)、「どうやって、その3000億円(仮に)を集めるの?」ということです。
まさか、その分の国債を発行する訳にもいかないでしょうから、既存の予算の「分配方法」を変えるしかない、ということになります。
そこで取りざたされているのが、「科研費」予算のライフ・ヘルス系を、厚労科研費や経産省のライフ予算に加えて「日本版NIH」の原資としましょう、という話になります。
いわゆる「科研費」は研究者の自由意志に基づくボトムアップ型研究費の典型であり、現在、文科省の管轄である日本学術振興会(JSPS)が、学術研究助成基金および科学研究費補助金としてその運用を行なっています。
これが「日本版NIH」予算に組み込まれることになると、いわゆる「出口を見据えた」研究でないと、採択されないのではないか、という懸念があります。
ちなみに、本家NIH予算では、もちろん、基礎研究にも配分されてはいますが、なにせ予算規模が本家の1/10だとするとどうなることやら……。
また、科研費自体は非常に広い分野をカバーしていますから、むしろ、「日本版NIH」に集約されてしまうことによって、イノベーティブな融合研究が生まれにくくなるのではないか、というような懸念もあります。
あるいは、出口指向でないと研究費が取れないと研究者が思ったとしても、いきなりその分野に参入できるとは限りませんから、それは、少なくとも短期的には、さらに日本からの論文産生数の減少を招くのではないでしょうか?(数が多ければ良いというものではないことは承知しつつ)
さらに、審査体制についても心配です。
私自身はJSPSの調査官としての経験はありませんが、外側から見る限りでも、この数十年の間の科研費の審査体制の整備は目を見張るものがあり、申請書のオンライン化(枠付Wordの書類はなんとかしてほしいけどね)、第1次書面審査員候補者選定のデータベース化などを進めてきました。
もし、現時点で「日本版NIH」ができた場合、厚労省や経産省の審査体制は、JSPS型に組み込まれるのでしょうか?
それとも、別の組織を作るのでしょうか?
もしそうであったとしたら、むしろかなりの無駄を生むことにならないでしょうか?
最後に、そもそも「日本版」と銘打っているのが、だめでしょう。
それは、「坂の上の雲」を追いかける時代の言葉であり、追いついてしまった後の時代にはふさわしくありません。
また、「日本版NIH」が本家と似て非なるものであることが明白なのにも関わらず、そのような言葉を独り歩きさせるのは、グローバルな視点からみて滑稽です。
(これ、例えばNatureの論説で、どんな単語になるのでしょうね? NIH-Japanese version?)
日本は日本で(米国をただ真似て失敗した経験も踏まえ)独自の路線を模索すべきです。
もちろん、現状で、基礎研究がなかなか出口につながらないことをどのように解決すべきかは、重要な問題です。
そして、その議論には時間がかかります。
夏の選挙までになんとか、という突貫工事を行うことは、もし、現政権が長期安泰を目指すのであれば、むしろ相応しいことではないと思います。
昨日、第15回脳神経科学コアセンターセミナーでお呼びした北大の根本知巳先生のお話の中に、レーザー開発の基礎の理論は、後にノーベル賞も受賞した物理学者マリア・ゲッパート=メイヤーの博士論文であった1931年のものが元であり、それがレーザーという光になったのが1961年、ウェブらによる多光子顕微鏡が開発されたのが1990年、つまり画期的なイノベーションに繋がるのは30年後くらい、というエピソードが出てきて、なるほどと思いました。
一方で、米国において、自閉症の治療薬としてグルタミン酸受容体アゴニストを用いるのは、1994年に作製された脆弱性X症候群のモデルマウスを用いて2004年に仮説が提唱され、2007年にマウスモデルでの治療効果の論文が出てすぐに2008年に治験が開始されています。
おそらく日本であれば、マウスの後に「せめてマーモセットでも検証しないと」などの慎重論が出て、ずるずると遅くなるのが通例でしょう。
日本の科学技術政策改革、いつやるの?
今でしょう!
でも「日本版NIH」じゃぁ、だめでしょう。
乱暴に「日本版NIH」を作ればすべて解決!ではないことは確かです。
【おまけ】
ちなみに、総理の成長戦略には「再生医療」「雇用」「女性」が重要視されているというのに、これらの議論が為されているメンバーは、ほぼ全員男性なんですよね……。
【参考リンク】
第3回 健康・医療戦略参与会合 議事次第(日本版NIH骨子の資料は、こちらの「資料1」にあります。出席者名簿へもリンクできます)
産業競争力会議(詳しい議論の様子はこの会議の議事録がよいでしょう)
産経msn:安倍首相、「日本版NIH」創設を表明(4/20付)
産経msn:官僚は戦々恐々、日本版NIH創設で3省の独法統廃合 勝ち組は内閣府(5/20)
薬事日報:【産業競争力会議】成長戦略の骨子を提示‐日本版NIH創設など盛る(5/31付)
柳田先生のブログ:日本発の論文数の低下 追記しました