書評『記憶をコントロールする 分子脳科学の挑戦』
2013年 06月 19日

私にとっては長年の共同研究者であり、高校の先輩でもある井ノ口先生は、そのご講演もとても魅力的な方なのだが、本書はそういうご講演をベースに書かれているので、記憶に関する研究の歴史から現在までを、たいへんわかりやすく解説されている。
哲学に興味を持っていた高校時代、まだ「脳科学」という言葉が日本に無かった頃でもあり、とりあえずは生き物の本質としての細胞の営みを理解することに大学から大学院時代を費やされた井ノ口先生にとって、「分子脳科学」への転機となったのは、日航機事故で亡くなられた塚原仲晃先生の『脳の可塑性と記憶』という本との出会い。
もう一つは、後にノーベル生理学医学賞を受賞されるエリック・カンデル教授が書かれた記憶に関する総説を読んだこと。
もしかしたら、自分の身につけた分子生物学のテクニックで、記憶の問題にチャレンジすることができるかもしれない、ということで、カンデル教授に手紙を書いた。
ちょうど分子生物学者をポスドクに取りたいという、いわば需要と供給がマッチングして、井ノ口先生はニューヨークのコロンビア大学に留学された。
残念ながら紙幅の関係か、ニューヨーク留学中のエピソードとしては、カンデル教授がしょっちゅう(日曜日の夜まで!)「What’s new?」と尋ねてきたという話くらいしか書かれていないのだが、カンデル研やコロンビア大学という素晴らしい環境でアメフラシを実験材料に記憶のメカニズムの研究を行い、新たに神経生物学と良い人脈を取り入れた井ノ口先生は、帰国後、三菱化学生命科学研究所(当時)に研究室を開かれて、齧歯類を用いた独自の記憶研究の分野を切り拓かれ、着実に成果を挙げられた。
本書の中では、ちょっとした「きっかけ」が大きなブレイクスルーに繋がる事例として、私との共同研究の話も盛り込んで下さっているが、ブレイクスルーとなるようなアイディアは「リラックスしたとき」に生まれる、というのが井ノ口先生の自説。
まぁ、アルキメデスが「ユリーカ!」と叫んだのはお風呂の中というし、欧米での重要な科学ミーティングが(いつも常にではないが)風光明媚なリゾート地で開催され、(いつも常にではないが)美味しいお料理やワインを伴う夕食のテーブルでの会話が国際共同研究に繋がったりする訳で、仙台なら秋保や松島あたりでミーティングを開催するというのは理に適っているってことを、監督官庁や財務省に理解してもらいたい。
(ということを井ノ口先生も述べています)
同時に、基礎研究者の多くが裁量労働制で一日12時間労働もものともせず(つまり残業代は付かないってことです)、起きている時間の大半を(いや、もしかしたら寝ている間も)研究に費やしており、だからこそ、ラボ外の人たちと交流できる時間が貴重であることも。
そして、気分が高揚して(たぶん)脳内でドパミンやらエンケファリンが放出されているときこそ記憶が高まり、何気ないエピソードもタグが付いて記憶として貯蔵され、まったく別の折に(例えば、その問題を解くツールが開発されたときなど)ひらめきとなって浮かび上がってくる可能性が高いということも。
本書の中で井ノ口先生も、日本の現状の研究資金配分では、基礎研究が干上がってしまうのではないかと危惧しておられる。
例えば、現在行なっておられる「記憶の再固定化」のメカニズムを明らかにするという基礎研究は、最初から「出口」を目指したものではないが、将来的にPTSDの治療に役立つ可能性があるのではないかと井ノ口先生は考えている。
まったく関係のない分野で、知的好奇心で始まった研究から、大きなインパクトのある医学研究が出てくるものなのです。(本書より)
本当にインパクトのある応用研究は、優れた基礎研究の積み重ねから生み出されることが多いのです。(本書より)
「シナプス・タグ仮説」や「神経新生と記憶の消去」など、井ノ口先生らが明らかにしていった新発見については、是非、本書を実際に読んで、そのワクワク感(グルーブ)を感じてほしい。
脳科学、神経科学は、今、まさに、「記憶」や「意識」を科学として扱うことができる時代になってきた。
井ノ口先生は、この分野で「未来のガリレオやニュートンになるかもしれない」若い方たちを煽っている。
20世紀は生命科学の分野で、「セントラル・ドグマ」などの根源的な法則が明らかになった。
21世紀は脳科学において「万有引力の法則」が見つかるのかもしれない。
『記憶をコントロールする 分子脳科学の挑戦』(井ノ口馨著、岩波科学ライブラリー)