ヒトES細胞の尊厳?
2005年 10月 04日
今日から後期(第2セメスター)の授業が始まる。
いよいよ「学問の秋」到来。
書こうと思って後回しになってしまったことだが、先日、文部科学省の会議があった。
正確には「科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会(第28回)」という。
一般公開されている会議で、発言はすべて録音され、テープ起こしした全文の議事録がwebで公表される、透明度の高いものだ。
(変な発言するとそのまま記録に残ってしまう!)
仕事は、「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」の見直しや、ヒトES細胞の樹立やそれを用いた研究は文部科学大臣確認事項なのだが、その下請けチェックを行う。
再生医学研究が盛んになりつつあるため最近だんだん申請件数が増えてきて、先日の会議はもっぱら数件の申請チェックに費やされたのだが、そのときに考えたことを記しておきたい。
※今webを確認したら、議事録として読めるのは第24回(平成17年1月31日)までだった。ちょっとアップデートが遅すぎるかも。
*****
私自身はヒトES細胞も、普通のマウスのES細胞も触ったことはないが、細胞培養の経験はあるから、それを用いた実験が実際にどのようなものであるかは容易に想像できる。
クリーンベンチで継代作業を行い、CO2インキュベータで培養し、実験終了の暁には培養ディッシュごとオートクレーブにかけて死滅させる。
さて、このヒトES細胞を扱う研究を行いたいのだが、実験室が狭く、通常の培養室で取り扱いたい、という申請があった。
これに対してどのように判断すべきか、あなたはどう考えますか?
ヒトES細胞はもちろんヒト胚に由来する。
細かく言うと、受精卵が卵割を繰り返し、数日後に胞胚という段階になったときの「内部細胞塊」という部分(ここからヒトの体のすべてができあがる)を単離し、培養可能な細胞株として樹立したものがヒトES細胞である。
つまり、ヒトES細胞は、そのまま発生が進んだらヒトになりえたかもしれない「ヒトの萌芽」を滅失して作られている、特別な細胞である、と思われているのだ。
実際に実験をする研究者や技術員にとっては、マウスのES細胞も、サルのES細胞も、ヒトのES細胞も、細かい培養条件の違いは別として、みな「培養細胞」であるという意識の方が強いだろうが、一般の人たち(あるいは、とくに生命倫理や法律に詳しい方たち)から見たら、ヒトのES細胞は「特別扱い」してほしい対象なのである。
この場合「ヒトES細胞そのもの」が特別にエライのではない。
誰かの余剰受精卵を、きちんと説明して実験の為に分けて頂き、ヒトの個体にはせずに樹立培養細胞にした、という<プロセス>がその背景にあることに対して、敬意を払って扱って欲しいと願う人たちが多数いるということだ。
そういう立場の人たちから見ると、「せめてクリーンベンチは専用にしてほしい」「作業エリアを分けられないのか?」と思われる。
研究者は「え、だって、ES細胞の培養には通常はヒト以外のフィーダー細胞を下敷きにして培養するんだから、専用ってことにはならないじゃないですか?」などと杓子定規に考えたりするが、ポイントはそこではない。
「ヒトES細胞を使う研究を行うエリアは分けて欲しい」、そのココロは「<ヒトES細胞>を使っているという自覚を持って研究に臨んで欲しい」ということなのだ。
ヒトES細胞を用いた研究の申請が研究者サイドにとってもう少し楽になるように「指針」の見直しをしているところだが、委員会ではまだまだ簡単に規制緩和すべきでないという意見が多い。
(そういう委員の方たちの方が委員会への出席率が良い)
研究者が規制緩和を臨むのであれば、研究に邁進するだけでなく、もっと一般市民への正確で分かりやすい情報発信にも心を砕くべきだろう。
これは難しいことだし、もちろんすべての研究者が皆そうしていたら研究が進まなくなって本末転倒だが、大型研究費の5%くらいはアウトリーチ活動に当てられてもよいのではないか?