トップダウン vs ボトムアップ:その1(研究費の場合)
2013年 07月 14日

Outcry over plans for ‘Japanese NIH’
Researchers fear reforms will bring cuts to basic science.
Ichiko Fuyuno
お電話で取材を受けてコメントが引用されました。
“I feel at odds with the concept,” says Noriko Osumi, a neuroscientist at Tohoku University in Sendai and president of the Molecular Biology Society of Japan. “It lacks respect for scientists’ free-minded creativity, which is the foundation of the country’s scientific strength.”
拙ブログでも繰り返し述べていますが、日本におけるmedical/health scienceの進め方において、現状を是とする立場ではありません。
先日のNeuro2013のシンポジウムでの高橋政代先生の言葉をお借りすれば、「基礎研究の次のステージの<応用研究>が日本ではとても貧弱」であり、これはとても大きな問題だと思っています。
(政代先生のスライドでは、
基礎研究>応用研究>臨床研究>治験>……という、治療に至るまでの何段階かが示されていたのですが、ノートをラボに置いてきたので、追って追記します。)
「貧弱」な理由には2つあって、一つは、「応用研究」に興味のある研究人口が少ないこと、もう一つは「応用研究」としてトップダウン的に配られる研究費を用いた研究の中で、「まだまだ基礎研究レベル」なものが多々あることだと思います。
政代先生は「もっと応用研究をする研究者が増えてほしい」と発言されていましたが、現状において、医療従事者の過酷な労働条件では、研究をする時間が取れないであろうという点と、基礎研究者の中には「応用研究なんて価値が低い」というスノッブな考えを持っている方も少なからずいるかもしれない点、あるいは、現状の「理学部系」の教育過程では「ヒトとの接点」を教える人材やコマが無いことなど、問題は多岐にわたります。
生命科学分野における「基礎研究」はtreasure huntingの側面がありますが、応用段階では、同じような実験を細々と条件を変えて至適なところを求めるなどの忍耐力も必要です。
基礎研究者は、そういう「体力・忍耐力」に欠ける方も多くいます。
つまり
health science関係の予算を一元化して、一気通貫にしたら、格段に進む!かとういうと、そう簡単ではないと思うのです。
さらに、私自身は、この新たな施策により国全体が「基礎研究軽視」に傾くことを危惧します。
「明日の医療に役に立つ」ことばかりを求めていては、10年後の芽が枯渇するでしょう。
いったい何の役に立つのかはわからないけれど、「それは面白い」と言える研究もリスペクトされなければならないと思います。

このタイミングでちょうどご献本頂いたのが『科学者の卵たちに贈る言葉 江上不二夫が伝えたかったこと』(笠井献一著、岩波科学ライブラリー)です。
時代が違うといえば、確かにそうなのですが(著者が1939年生まれ)、競争が激しくなった今の時代だからこそ、江上先生のピュアな言葉がとても心に響きます。
誰もがまだ気がついてないところから重要な研究課題を見つけだしなさい。他人に大事だと言ってもらえないと大事だと思えないような自信のなさではいけない。自分の選択に自信をもって、それを育てなさい。(「4 つまらない研究なんてない」より)
確実に結果が予想できるような実験なんて、やってもあまり意味がないじゃない。どんな結果になるかわからない実験こそ価値があるのよ。そうして、もしも予想もしなかった結果になったら、そこにはまだ誰も知らない何かが隠れているということなんだ。世界をあっと言わせる大発見になるかもしれないんだから、君は大喜びしなければいけないよ。(「6 実験が失敗したらよろこぶ」より)
もとに戻ると、「日本版NIH」はどうしてもトップダウンの研究費としての側面が強いものになると予測します。
それを推進する上で、「ボトムアップ」な研究を蔑ろにしてほしくない、というのが私の主張です。