ピダハンの言葉から考える
2013年 08月 15日
アマゾンの奥地に住む少数民族のピダハンにキリスト教を布教させるべく赴いた筆者が、聖書の翻訳のためにピダハン語を習得する過程で、その独自の言語構造や文化、その元となる認知の違いについて気付いたことを記した、たいへん興味深い本です。
筆者自身が学んだ米国MITのチョムスキーは、「生成文法」という、人間の言語の普遍性を強調することにより言語学において一世を風靡し、さらにそれはピンカーの「言語本能」などへと繋がった訳ですが、ピダハンの使う言語は「入れ子構造」つまり「再帰」を取ることが無いという意味で反証といえるもの。
たとえばこんな具合です。
ここでジャガーがわたしの犬に襲いかかり、犬を殺した。
そこでジャガーはわたしの犬に襲いかかり、犬を殺した。この出来事はわたしに関して起こった。
そこでジャガーは犬を殺した。犬に襲いかかって。
それに関して、ジャガーは犬に襲いかかった。わたしはそれを見たと思った。
そこでわたしは、つまりパンサーはわたしの犬に襲いかかった。
そしてパンサーはわたしの犬に襲いかかった。
そこでわたしは話した。これはパンサー[の仕業]だと。
そこでわたしはパンサーについて話した。これがそれが行ったところだ。わたしは[それがどこへ行ったかを]見ると思う。……(「自然と直接体験」より)
他にも多数の事例が挙げられているのですが、要するに「複文」になることがいっさいありません。
実際の発音を聞いたことが無いのですが、この訳文を読んでふと浮かんだのは「万葉集」でした。
延々と繋がる万葉の歌のリズムと、どことなく似ているような気がしたのです。
実際、ゲノムレベルでどうなのかは知りませんが、南米の先住民族はもともとはアジアからオホーツク、アリューシャン列島、アラスカを経て移動したと言われていますし、ピダハンの発音は母音が3種、子音が7種しかない点も、ポリネシア系の言葉との共通性を感じます。
(ただし、ピダハンの場合は、中国語などのように「声調」があって、音の高低は区別されます。)
さらに、基本文としては「主語+目的語+動詞」の順になるというのも、日本語に似ています。
複文を作らないのは、「目的語」の部分が長くなると、動詞まで遠くなるので、脳内での作業記憶の負荷が大きくなりすぎるのではないかと私は思ったのですが、このあたりは言語学の方といちどお話してみたいですね。
英語から日本語への翻訳のときに気をつけているのは、あまり長い修飾句にならないように、読み下し文にするということなのですが、日本語は、英語よりは再帰や入れ子を嫌う傾向があると思います。
つまり、
John gave her a book he bought at a bookshop where he often browse if he has a time.
という英文は自然に繋がりますが、その日本語を一文で書く場合に、
ジョンは、時間があるとぶらつく本屋で買った本を彼女にあげた。
よりも、
ジョンは彼女に本をあげた。その本は、彼が時間があるとぶらつく本屋で買った。
の方が読みやすいし、理解しやすい。さらに、
ジョンは彼女に本をあげた。その本を買った本屋は、時間があると彼がぶらつくところだ。
という順番が、英語ともっとも対応したもの、あるいは認知の流れに沿ったものだと思います。
ちなみに英語では4回出てくる主語は、日本語で同じだけ繰り返すと五月蝿いですね……。
ピダハンが、自分で実際に見たことしか原則として語らない、という点はとても興味深いと思いました。
なので「夢」の扱われ方は現代の我々とは異なり、「寝ている間に<見た>こと」なのですが、これは平安時代の日本でも「夢枕に立つ」のは、相手の作用と捉えられていたことに近いかもしれません。
また、ピダハンには「精霊」も「見える」ので、イタコのような能力があるのかもしれません。
あまりに保守的なピダハンは、モノに対する執着心が無く、それは、いわゆる我々が呼ぶところの「文化・文明」から隔絶された社会を形成していることに繋がるのですが、人間同士のコミュニケーションは濃厚で、皆よく笑うと著者は記しています。
ピダハンは「想像の世界」を信じていないため、結局、筆者の「キリスト教布教活動」は失敗に終わります。
寿命約45年というピダハンは、曽祖父母以上の昔の人のことは理解できないといいます。
「2000年以上も前のキリストが本当にそんなことを喋ったのか? その証拠は?」と問われて、処女懐妊も、復活も、聖書の話を信じてもらうことができません。
人間が言語を獲得して、神話や伝説は自然に生じたもの、文字を獲得して最初に記されたのは契約と神話とア・プリオリに信じていましたが、そうでない文化もあることは、本書を読んでもっとも興味深かった点です。
言語に興味のある方も、認知機能に興味のある方も、いろいろな意味で刺激になる本だと思います。