一人でしていてサマになること
2005年 10月 10日
競合相手がほとんどないのだから、資本主義経済の日本でこれは仕方のないことかもしれないが、もしマイレージのシステムがあったら相当貯まっているはずだ。
・・・それを言うために書き出したのではなかった。
「新幹線に乗るときには、行き帰りのどちらかで週刊文春を読む」と書き出すつもりだったのが、つい筆がすべってしまった(正確には、手が勝手にキーボードの上を飛び跳ねた、とでも言うべきか)。
この間の東京出張の往路で読んだ文春の林真理子のエッセイに、珍しくマトモなことが書いてあった。
彼女がここ数年、児童文学の読後感想文の賞の審査員をしているか何かで、その折りに受賞者へのお祝いの言葉として、「(前略)本を読むというのは、一人でしていてカッコイイ唯一のことです」というようなことを述べたという。
「本を読んでいれば、待っている人が来なくても惨めではありません。読んでいる間、その世界を楽しむことができます・・・云々」
(すみません、正確に引用すべきでしたが、週刊誌は読み終わったら捨ててしまって手元になくて確認できません。ゴメンナサイ)
これはなかなか気の利いた台詞だと思った。
確かに、「ラーメンを食べる」とか、「フルコースのディナーを食べる」などは、一人でしてカッコイイものではない。
前者はただエネルギー補給のためだったり、食欲を満たすだけだし、後者はやっぱり「一人」というところが何か寂しい気がする。
フード評論家など、ごく一部のトレーニングされた人はサマになるのかもしれないけど。
一人でしていてサマになるのは、「本を読む」の他に「煙草を吸う」や「行きつけのバーで”いつもの”お酒を飲む」なども入るかもしれないが、「煙草」や「バー」はどうしても不健康さがつきまとう。
それに比べると「本を読む」は、ちゃんと辺りが明るいところなら、健康的だ。
(私は小学生の頃、消灯後に隠れて布団の中で本を読んだために近眼になった、と思う)
お茶のお友達のちょっとお姉様の外資系銀行にお勤めのマリコさんは、少し前になるが、休暇を消化しなければならなくて、平日に一人で箱根の高級旅館に行かれたとのこと。
仲居さんに「お寂しくありませんか?」と聞かれて「いえ、全然。のんびりしに来たので・・・」とニコヤカにお答えになったらしい。
うーん、彼女のようなオトナな休暇の過ごし方はまだできないなあと思う。
そもそも方向音痴というハンディがあって、一人で知らないところに行く気がしない。
私が一人で行ってサマになるところがあるとしたら、唯一スタバくらいか。
あ、ちょっと前から「コンビニでしか売っていないスタバメニュー」というのが(少なくとも)東京では出たらしいのだが、まだ試していないことに気が付いた。
サポーターとしてはきちんとチェックしなければならない。