TWAS総会に出席しました(その2)

年をとるほど世界は狭くなるのが法則なのでしょうか、今回、日本からの参加者が自分を入れて3名、かつ、欧米の参加者も少ない中でも、初めての知り合いになった方に共通の友人が見つかるケースがたくさんありました。

例えば、初日のランチで隣り合ったAnthony Claytonさんは、Year bookというプロフィール集によればエジンバラ出身とのことだったので、「エジンバラには存じ上げている方が何人かいますが、中でもSimonとVeronica van Heyningen先生ご夫妻は大の仲良しです」とお伝えすると、「本当ですか? 母が彼らの住まいのご近所だったと思います」「え、エジンバラに行くたびにお宅に泊めていただくのです! それは狭いですね〜」という具合……。
Clayton先生は社会学、とくに科学政策がご専門で、現在はジャマイカを本拠地として、大学で教鞭をとる傍ら、政府への政策提言などに関わっておられるとのこと。
「娘が日本語が大好きで、ペラペラなんですよ」と仰るので、「では是非、いつか日本でインターンシップなどしてみてはいかがですか?」「貴女のメールアドレスを娘に教えてもいいでしょうか?」「喜んで!」と、話は弾みました。
他にも、研究倫理の話や、原発による汚染の話などが話題に上り、もう少しこのあたりのボキャブラリーを増やしておかなければと痛感しました。

3日目に神経関係のトークが2つあり、どちらも素晴らしいお話だったのですが、Michael Klein先生のトークは、神経細胞の活動に関するホジキン&ハクスレーの方程式の話から始まり、イオンチャネルの構造と機能が、現在ではどのようにシミュレーションと実験で解明されつつあるか、という、神経科学の王道の一つについてでした。
ちなみに、ホジキンとハクスレーが初めて1939年にNatureに論文を書いたとき(まぁ、今から見たらあまりに簡素な論文なのですが……)、ホジキンは21歳、ハクスレーは25歳だったそうです。
うーーん、やっぱり数学的な素養は、早いうちに開花するのですから、才能のある若い方を受験勉強などでその能力をすり減らさせてはいけませんね……。
その次の論文が1943年(第二次世界大戦終結間近の頃)、有名なモデルの論文は1952年、どちらもJ Physiologyです。
彼らは「神経細胞の末梢および中枢部における興奮と抑制に関するイオン機構の発見」により1963年にノーベル生理学・医学賞を受賞(エクルスと同時)しています。

長くなりました。
で、講演終わった後に、Klein先生のところに名刺交換に行って、「いつか集中講義などお願いできないでしょうか?」と伺ったところ、「いいですよ。日本にはしょっちゅう行きますので。NIMR(物材研)のWPIプログラムの外部評価委員なのです。潮田先生のことをよく存じ上げています」「え! 潮田先生は、今は物材研の理事長でいらっしゃいますが、前は東北大学にいらしたのです。現在、私はそちらに所属しているのですが」
……またもや、small worldでした!
潮田先生はFacebookでも繋がっており、さっそくこの件を報告しました。

3人目は、同じく2012年にメンバーとなった王陸海(Lu-Hai, WANG)先生です。
台湾の細胞分子生物学会会長、National Health Research Institute (NHRI)のVice Presidentという立場の方で、癌研究がご専門。
「日本には友人がたくさんいます。例えば山本(雅)先生など」と、すぐに存じ上げている方のお名前が挙がりました。
日本の分子生物学会の年会は英語化しているので、是非、台湾からも参加して頂ければ……。来年も12月に開催されます」と宣伝しておきました。

本当は本日3日目の夜は「タンゴ・ディナー」だったのですが、飛行機の都合によりパスです。
つまり、会場のホテルからほとんど出ない出張でした(苦笑)。

【リンク】
拙ブログ:TWAS総会に出席しました(その1)
by osumi1128 | 2013-10-04 08:53 | 旅の思い出

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