日本語って非論理的?

今日は夕方9階のオフィスから凄く綺麗な夕焼けが見えた。
丁度良く雲がたなびいていて、それが茜色に染まっている。
遠くに見える山際はすでに薄墨になりかけて、しばらく見とれていた数分の間にも少しずつ景色が変わっていく。
こんな夕焼けを見ると、なんだか、生きてて良かった、なんて涙が出そうなくらい幸せな気分になるものだ。

*****
土曜日、東京から帰りの新幹線で『理科系の作文技術』(木下是雄、中公新書)を読んだ。
初版はなんと1981年のロングセラー。
久しぶりにもう一度読もうと思って買った版は、この24年の間に51も重ねている。
プレゼンの技術などについての章は、やや前時代的な感も無いわけではないが、基本的なコンセプトは変わらないなあと改めて思った。

興味深かった箇所を2つ引用しておこう。

日本語はご存じのように、主語に対応する述語がかなり離れて出てくるし、長い修飾句が間に挟まれることがママあるものだ。
分かり易い日本語の文章を書こうと思ったら、なるべく「逆茂木型」にならないようにすべし、と木下は説いている。
逆茂木型の文とは、例えば次のようなもの。

長い航海を終わって船体のペンキもところどころ剥げ落ちた船は、港外で、白波を蹴立てて近づいてくるランチの到着を待っている。

こういう文章はとくに翻訳本に多くて、私たちはすでに慣らされてしまっているのだが、本来の日本語の文章ではない。
木下曰く、
<以下引用>
・・・私たちは、長年の修行の結果、「・・・・剥げ落ちた船は、港外で、」の次に、突如として「白波を蹴立てて・・・」が現れても少しもあわてない;これをちょっと頭の入り口に置いておいて、「ランチの到着」まで読んで「ああ、そうか。」と納得するのである。私たちが一つの文を理解するパターンは、文中の句や節が互いに人見知りをしてモジモジしながら頭の入り口につめかけている;全文を読むと、それらがサッと隊を組んで頭の奥に駆け抜けていくーといったものらしい。・・・
<引用終わり>

脳のどこかに、小さなこびとさんたちがウロウロしている情景を想像して、思わず笑ってしまった。
これって、脳のイメージング等でどんな風になっているのか、見えたら面白いのに・・・
もちろん、こびとさんはいないだろうけど。
ほんの数秒の短期記憶が文の理解に必要ってことですね。


上記は「文の構造と文の流れ」という章からのものだが、もう一つの引用は「事実と意見」という章から。

<以下引用>
・・・米国で小学生用に編集されたPatterns of Languageという8冊の言語技術の教科書がある。10年ほど前(大隅註:1970年代ということ)、その中の1冊(小学5年生用)と手にした私は、たまたま開いたページに

ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領であった。
ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった。

という二つの文がならび、その下に

どちらの文が事実の記述か? もう一つの文に述べてあるのはどんな意見か? 意見と事実はどうちがうか?

と尋ねてあるのを見て衝撃を受けた。
<引用終わり>
とある。
さらに、小学4年生用のものでも、

この背の高いアメリカ人は世界で一番機敏な男でした。
『ハワハニの新しい学校』というのはあるお話の題です・

という文を例に挙げ、

どちらが事実の記述ですか? 事実とは何でしょう? 事実と意見はどう違いますか?

と問うている、とのこと。
(すみません、孫引きです)

まあ、事実と意見の区別というのはとても難しく、恐らくアメリカの弁護士などはその辺を上手く使って陪審員を誘導しようとしているだろう。

やっぱり、「この間の日曜日に何をしましたか?」というテーマで作文を書いて、最後が「・・・楽しかったです。」で終わるばかりでは、どうかなと思う。
by osumi1128 | 2005-10-16 21:22

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