時代は「一回性の科学」へ向かう
2014年 01月 26日
ちょうど経産省からルールづくりが必要というような答申があったことを受けてのタイミングなのだと思います。
「遺伝子=ACTGの配列」だとすると、実は「それだけで罹りやすさが決まる病気よりも、そうではない病気の方が多い」ということについて、もう少し詳しく説明すべきと思いますが、日本の遺伝リテラシーは欧米より2周分くらい遅れているので、仕方ないのかもしれません。
生命科学の最先端では、ACTGだけで決まらないエピゲノムの分野が伸びています。
ざっくり言えば、3つの仕組みが遺伝子の「働き方」に影響します。
1つはマイクロRNAやノンコーディングRNAと呼ばれるRNA分子の働き。
2つ目はDNAレベルでの化学修飾(メチル化など)
3つ目はDNAが巻かれているヒストンというタンパク質の化学修飾(メチル化、アセチル化など)
でもって、これらの3つの仕組みは、「環境」に大きく影響を受けることがわかってきました。
つまり、私達の経験が私たちの遺伝子の働き方を左右するのです。
こうなってくると、時代はどんどん「一回性の科学」に向かわざるを得ません。
マウスを使った実験を想定してみましょう。
ある遺伝子Xが学習に対して影響するのかどうか調べるために、遺伝子Xを欠損させたノックアウトマウス(KOマウス)を作製し10匹用意します。
生命科学実験では「対照」との比較でその遺伝子Xの役割を判断するので、遺伝子Xが欠損していない「野生型」のマウスも10匹用意します。
これらのマウスを(可能であれば、実験者にはどちらの遺伝子型のマウスかはわからないようにして)、水迷路で学習させる実験をします。
もし、2つの遺伝子型の10匹のマウスの学習効果を表すスコアの平均値を出し、それに差があり、かつ統計学的な有意差があれば、遺伝子Xは学習に対して影響があると判断されます。
動物個体を用いた行動実験には、培養細胞などを用いた実験よりも「ばらつき」があることは研究者にとって折り込み済みです。
つまり、遺伝子XのKOマウスのある個体のパフォーマンスは、野生型マウスのある個体よりも良いこともありえます。
ですので、科学論文を作成するためのデータを得るには、可能な限りそのばらつきを少なくする工夫が必要です。
例えば、用意する10匹ずつのマウスは「同腹仔」、つまり、同じ母親から生まれたきょうだいを用いるのが理想的です。
例えば、片親をKOマウスのヘテロ接合個体にして、野生型の親と交配させれば、1対1の割合でヘテロ接合KOと野生型のマウスが生まれます。
ヘテロ接合は、両親から受け継いだ一対の遺伝子の片方のみ欠失している状態なので、もし、完全にノックアウトしたい場合には、ヘテロ接合の親同士を交配します。
普通に使われるマウスは1腹で6-8匹くらいの産仔数なので、この実験は少なくとも3匹の母マウスを用いる必要があります。
では、ここで、KOマウスの雄を野生型の雌と交配し、1匹目のKO母マウスからは野生型4匹、遺伝子XのKOマウスが2匹得られたとしましょう。
同じ母マウスを再度妊娠させて、2回目には野生型3匹、KOマウス3匹が得られ、さらに3回目では、野生型3匹、KOマウス5匹が得られたとすると、うまく10匹ずつのマウスが得られて実験が組めそうです。
ところが、2回目、3回目の出産をした母マウスは、1回目のときとは子育てが違うかもしれません。
また、仔マウスたちは、1回目、2回目はきょうだいが6匹、3回目は8匹なので、もしかしたら母乳の量が違うかもしれません。
さらに言えば、子宮内で男性ホルモンの暴露の影響が仔の脳の発生に影響を与えるという研究もあるので、子宮内で雄の胎仔に挟まれた雌胎仔は、雌に挟まれた雌胎仔とは異なる環境で発生することになります。
(実際には、多くの行動実験では、成体の雌マウスを使うと性周期の問題があるので、雄のみ使うことが多いのですが、ここでは少し話を簡略化しています)
あるいは、ヘテロ接合のKOマウス同士を交配して得られたマウスは、母マウスが野生型のマウスとは異なる育てられ方をしているかもしれません。
つまり、ここで2つの「遺伝子型」に分けた10匹ずつのマウスは、どこまで「均一」な集団かというと、考え出したらきりがないくらい、個々の育った「環境」や「経験」が異なる可能性もありえるのです。
さらに、論文を投稿して査読を受けた後に、再度実験せよ、というコメントが来て、追加の実験をするとします。
前の実験に用いた雄のKOマウスは、最初の実験のときから6ヶ月経ていますが、まだ交配に使えそう、ということで交配を組んで仔を得て(このために3ヶ月くらいかかってしまいます……orz)実験したところ、前回ほど野生型とKOマウスの差がつかなかった……となると、研究者としてはアタマを抱えることになります。
……もしかしたら、エピゲノム研究の行く先には、ものすごく「個々の差」や「一回性」を考慮した科学が待っているのかもしれません。
そもそも近代科学は、誰が観察・実験しても同じ結果が得られるという「再現性」を重視して進んで来ましたが、これからは、ネズミ1匹も患者さんの「症例研究」のようにつぶさに調べる必要が出てくるのかもしれません。
「一回性」の話は、もともと、作家の瀬名秀明さんが取り上げていたことがあって、ずっとアタマに引っかかっていたことでした。
ビッグデータの解析は、このような「一回性」の問題を克服することができるのでしょうか?
科学のこれからは私にとって、さらに楽しみな世界です。
【関連拙ブログ】
脳梗塞の幹細胞治療から考える一回性の科学【追記しました】