普段、科学に関心の無い方々まで巻き込むフィーバーはいずれ(オリンピックも開幕したし)収束するとは思っていましたが、さらにハイ・インパクトな話に持って行かれるというのは想定外でした。
まぁ、スキャンダルは強し。
ところで、小保方さん関係ブログの2つめのエントリーとして「
リケジョと割烹着」というタイトルの文章を書きました。
そこに以下のように書いたのですが……。
「割烹着」という言葉から、この衣服はもともと料理のために創られたように思われるかもしれませんが、実は「割烹着」は、理科実験を含む「作業着」として開発された、ということをご存知でしょうか?
割烹着は、実は日本女子大学校(現在の日本女子大学)で生み出されたものです(Wikipediaの情報は正確ではありません)。(原文ママ)
気になっていろいろ調べましたが、実は、赤堀割烹教場(現赤堀料理学園)がルーツだ、という記載がネット上から見つかりました。
このサイトには「1902年に三代目の赤堀吉松が、着物が汚れず、料理もしやすい服装を考えた結果、「割烹着」を考案、教場にて着用」となっています。
さらに、「日本女子大(正確には当時は日本女子大学校)に講師として赴く」とあります。
1901年創立の日本女子大学のホームページには写真ギャラリーがありました。
この画像の中の「明治(創立期〜1912)」のところを見て頂くと、創立当時から「理科教室」(画像#9)が置かれていたことがわかります。
理科の講義は「家政学部」で行われていましたが、当初は「前掛け」をしていたようです(#10)。
それが創立から10年ごろには、「割烹着」が作業着として使われています(#21-23)。
(こちらにも#23の化学実験の風景画像を転載させて頂きます。)
歴史は口伝えされていく間に変わっていくのかもしれません。
また、今回あらためて感じたのは、種々の情報をweb上で簡単に探せる時代になったのは、探索好きな者として有難いのですが、逆に言うと、webに載っていない情報にアクセスするのに、心理的にとても困難を感じるようになってしまった、ということがあります。
もしかしたら、日本女子大の所蔵の文献の中には、割烹着のルーツについてきちんと記載されたものがあるかもしれませんが、それを探し出すのは、現在の私にはちょっと難しすぎますね。
もう一つ、今回、思っていた以上に「リケジョ」という用語が市民権を得たようです。
上記は本日付の読売新聞記事で、和歌山県農業試験場や近畿大学生物理工研究科で活躍する女性が取り上げられています。
「リケジョ倍増計画」を個人的に目論んでいる身としては、このように新聞などに取り上げて頂くことが、次の世代の女性の進学や職業選択にとって好ましいと思っているのですが、一方、「<リケジョ>というレッテルを貼られるのはイヤ!」という、現役の女性研究者や女子大学院生などから非難の声も挙がっていると聞きました。
何でも「差別だ!」と言うのは簡単ですが、「リケジョ」が差別用語と受け取られるのはどういう意味でなのか、少し考察してみました。
今回、「リケジョ」がフィーバー?したのは、「小保方さん」という、いわば「ロール・モデル」がいたことの影響は非常に大きいと思います。
仙台通信ではこれまでから意識的に多数の女性研究者を取り上げてきましたが(「ロール・モデル」のタグで検索)、社会的ムーブメントを起こすにはまったく力不足でした(苦笑)。
しかしながら、「画期的な成果を上げた若い女性研究者」ということに加えて、まぁ、有り体に言えばカメラ映りの良いこと、興味深い個人的エピソード(それを暴露できる資質)などが足されて、もしかしたら今年の流行語大賞が狙えるのでは?というレベルになりました。
そうすると、小保方さんのように「キラキラお姫様系」が「リケジョ」ではないでしょう、という声が上がるのは当然です。
例えばこちらは日刊SPA!のウェブ記事(2/3)
研究の現場はもっと地味ですし、ときどき言うのですが「研究は、毎日がハレ、すなわち素晴らしい成果が出るのではありません。ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケ、ハレか、もっとハレが少ないくらい」です。
夜中まで実験して、朝、髪を振り乱して出てくる研究者は、女性も男性も多いですし、着るものだって白衣を着ないで、汚れても構わない格好で実験する方も多いと思います。
(注:ラボ着が白衣かどうかは、そのラボの環境や伝統によります。どの研究室も白衣着用という訳ではありません。また、ヒトES細胞を扱う実験室など、もっと重装備なところもあります)
ただし、なにせ理系の女性は4年生の大学進学時点で25%程度のマイノリティーなので、世間一般の皆さんの「科学者」に対するイメージは「白衣のオジサン」です。
それを打ち破ることは、女子中高生たちに「理系って、こんなお姉さんもいるんだ!」という一定の効果があると思うのです。
「なぜ理系に進む女性が少ないのか?」については、
昨年上梓した翻訳本をぜひお読み頂きたいのですが、日本でとくに大学進学時点においても女性が少ないのは、「文系・理系」という大学入試制度も問題だと考えます。
「女子はやっぱり文系だよね。理系なんか進学しても、就職先なんて無いよね?」という二者択一的な指向パターンを植え付けることは、大きな影響があるのではないでしょうか?
今回の報道フィーバーに対して、「科学の成果以外のところにばかり着目されている」ということを不満に思う方も男女限らず多かったようです。
こちらも、主に研究者や科学コミュニケーションに関係する方のご意見でしたが、気付いたのは、やはりネット記事の影響ということでした。
新聞では、科学的な側面についての記事が例えば1面に掲載され、小保方さんの人となりなどは3面扱いになります。
紙の新聞を読む方にとっては、1面だけ読む場合もあるでしょうし、3面は3面だと意識しながら読みます。
ところが、ネット記事ではフラットに同列扱いであり、さらにTwitterやFacebookなどのSNSで拡散される間に重みがついて、本来であれば3面扱いの記事の方がネット上ではたくさんツイートされたりする、という現象に気づきました。
また、SNSは自分の興味のある記事を目に触れる機会が増加するような仕組みが組み込まれていますので、「この記事はけしからん」という記事がたくさん飛び込んでくる訳です。
「壁をピンクに塗ったり、スナフキンのシールを貼っている」ことが、若い女性ではなくて年配の男性だったら、単に「キモイ」だけでしょう、なぜ、そこを取り上げる?というお怒りもありましたね。
(私は「壁ピンク」が許される理研CDBはいいなぁ、という感想を持ちました。以前、新しい建物に移る際に、「壁の色を変えたい」と事務方に言って即時却下されたので。別にピンクにしたかったのではないのですが、単調な色では気持ちが浮き立たない、科学のアイディアが生まれやすいような刺激のある環境にすべき、というのが、日本ではまだまだ通らないのです。)
これからもっと女性の科学者が増えたら、もっと多様な、個性のとんがった方も増えるでしょう。
今は「目立たないようにしよう」と思っている女性も多いはずです。
「海外ではもっと科学面が報道されるのに、日本では……」というご意見もありました。
そりゃそうですよね、若い女性が筆頭著者であろうと責任著者であろうと、もっと多数いるのですから、取り立てて問題になる訳がありません。
また、ノーベル賞受賞者だって、日本人が共同受賞しても大きく扱われることはありえません。
「いつも研究のことを考えています」というのも、科学者であればごく普通のことですから、取り立てて新聞記事の最初の1文にするほどのことも無いように思えます。
要するに、「リケジョ」が当たり前に貢献している社会になっていれば、今回の報道フィーバーにまではならなかったということではないかと考えます。
さて、ここで一つだけ、私なりのフォローアップで気付いたことを指摘しておきます。
(すべての小保方報道に目を通している訳ではありません。念の為)
小保方さんが「お祖母様からもらった割烹着を着て実験している」という報道についてです。
今回の研究の中心となった同センター研究ユニットリーダー、小保方(おぼかた)晴子さんは、祖母の教えを忘れない。2009年、世界的に有名な科学誌に掲載を断られ、ひどく落ち込んだ。その時、励ましてくれたのが祖母だった。「とにかく一日一日、頑張りなさい」。その言葉を胸に、祖母からもらったかっぽう着に必ず袖を通して毎日、実験に取り組んでいる。(1/29毎日新聞)
研究室のスタッフ5人は全員女性。研究室の壁はピンクや黄色で、好きなムーミンのキャラクターシールも貼っている。仕事着は白衣ではなく、大学院時代に祖母からもらったかっぽう着。「これを着ると家族に応援してもらっているように感じる」という。(1/30読売新聞)
昨年、理研のユニットリーダーになった小保方さんは、自身の研究室の壁紙をピンク色、黄色とカラフルにし、米国のころから愛用しているソファを持ち込んでいる。あちこちに、「収集癖があるんです」というアニメ「ムーミン」のグッズやステッカーをはっている。実験時には白衣ではなく、祖母からもらったというかっぽう着を身につける。(1/30apital)
読売の記事にあるように「大学院時代」に割烹着を着用していたのではないと思われます。
というのは、早稲田大学と東京女子医科大学の連携で行われていたグローバルCOEのパンフレット(PDF)には、小保方さんの留学レポートとして普通の白衣を着た姿があるからです。
まぁ、記者会見にしろ、研究所内の取材にしろ、ちょっと理研CDBの演出過剰(しかもオジサン目線で)な気がしないでもないですね……。
まんまと報道関係者が乗せられているというか、手玉に取られているというか……。
ついでに付け加えると、大学院生の育成支援プログラムであるグローバルCOEは、個人的には良い仕組みであったと思います。
教育や人材育成は5年などの「プロジェクト」で行われるべきものではなく、10年、20年という長期のプログラムが必要です。
基礎研究の振興とともに、GCOE復活も是非お願いします!>文科省関係各位
【追記】
本ブログをアップしたら、絶妙のタイミングでこんな記事が!
毎日新聞(2/9)
ふむ、これで最低もう一つエントリーできますね……ww
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