秋田に行ってきました
2005年 10月 21日
という訳で一日遅れの投稿。
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新幹線のこまち号が盛岡で「はやて」から切り離されることや、既存のレールの上を走るために車両の幅が狭いのは知っていたが、大曲(おおまがり)で進行方向が逆になるとはびっくりだった。
確かに地図をよく見るとV字型に曲がっている。
午前中の移動だったので、刈り取りの終わった田んぼの周りの薄(すすき)や山間の紅葉を車窓から楽しんだ。
秋田駅は新幹線開通の折に近代的なビルとなっていて、駅の東西をつなぐ通路は一部板張りだし、真ん中には街灯とベンチを置いて戸外のような雰囲気にしつつ、通路の端には2段の手すりを回してあり、バリアフリー化も万全。
秋田大学の総務部人事課の2名の方に出迎えて頂き(方向音痴には極めて有り難い)、「先生、お昼はどうされますか?」
「あ、すみません、新幹線の中で食べました」
「えっ、いや、稲庭うどんでもと思っていたのですが・・・。それじゃ、どうしますかね・・・“ねぶり流し”でも見ますか・・・」
シマッタ! どうりで講演は3時からのはずなのに、やたら早い時間の新幹線を指定してきたと思ったが、よく確認しなかった私が悪い。
本場の稲庭うどんには心引かれたし、お二人にはランチ抜きになってしまって気の毒だったが、「民俗芸能伝承館」(愛称「ねぶり流し館」−パンフレットより)を見にいった。
東北三大祭りの一つに秋田の「竿燈(かんとう)」がある。
他の二つは青森のねぶたと仙台の七夕だ。
竿燈というのは今までよく知らなかったのだが、竹棹に提灯をたくさん下げたものを肩、おでこ、腰、手などの上でうまくバランスを取りながら支えて、それを順番に渡していくらしい、と「ねぶり流し館」の展示で理解した。
祭りは8月の頭の4日間で、1ヶ月前からお囃子などとともに練習が始まる。
秋田大学(しゅうだい、と地元では言われている)も2つ竿燈を出すとのこと。
徳島大学が阿波踊りに必ず研究室単位で“連”を出すなど、こういうのっていいなあと思う。
昼間に競技会があって、規定の時間にどれだけうまく竿燈を支えたかを競うらしい。
夜は観光パンフレットに必ず載っている明かりの点いた竿燈のパレード、すなわち“ねぶり流し”となる。
戦後の商店街復興のための七夕と違って、古くから祖先の霊を弔う行事に豊作の祈りが結びついて盛んになったものという。
詳しくはこちら
(サイトの引用の仕方を覚えました!)
さて、お昼抜きになってしまった事務の方にはお気の毒だったが、その後、保存されていた有形文化財の町屋をざっと見て、目的の秋田大学に向かう。
「男女共同参画」についての講演を行うためだ。
東北大学では5年前から全学の委員会が発足し、当時医学部には私一人しか女性教授がいなかったから委員に選ばれた。
(註:必ずしも女性の委員でなければならない規定はないが、男女のバランスが良いことを求められている)
それまで全く興味も関心もなかった分野なので、基本法もジェンダー学も何も知らなかったが、法学部に専門家のT先生という方がおられ、その方に引きずられるうちに門前の小僧となった。
その私がついに他大学に出向いて共同参画レクチャーをするようになるなんて、まったく人生には想定外のことがいろいろ起きる。
事務局長、学長にご挨拶し、共同参画問題担当の学長補佐の先生(女性)とひとしきり懇談した後に、VBL棟(ベンチャー・ビジネス・ラボラトリーの略とのこと)という、名前からも新しいことが伺われる建物に移動して講演の準備をする。
打ち合わせのメールをやりとりしているときから「コンピュータはマッキントッシュですか?」と心配らしかったが、「プレゼンの本を出しているくらいですから大丈夫です」とも言えず、「万が一のときにはそちらのコンピュータにファイルを移して行いますから大丈夫です」と申し上げておいた。
マック派のエライ先生にはご自分でトラブルシューティングができない困ったチャンが多く、事務方はほぼWindows worldなので、マックと聞くと怯えられるようだ。
そういうエライ先生(よりはその配下のお弟子さん?)には是非拙著を進呈してさしあげたい。
会場の入りはまあまあ、50-60人程度か。
若い女子学生さんもいる。
お陰様でプロジェクター関係のトラブルは全くなく、プレゼンは持ち時間を10分残して質疑応答に当てて、数人の方とやりとりできた。
学長も事務局長も最初から最後までしっかり聞いて頂けたのは、秋田大学の共同参画推進にとってとりあえず暁光といえよう。