日本でノーベル賞受賞でもない生命科学研究者の名前が2ヶ月にわたって一般週刊誌にも載っているのは二度目だったか三度目だったか……。
おそらくこの事例は我が国の科学コミュニケーションの歴史に残ることは間違いなく、10年以上「科学コミュニケーションは科学と社会の健全な関係を構築するのに重要」と言い続けた身として、STAP細胞騒動初期の拙エントリーに対する自戒も込めて記しておきたいと思います。
【追記】「科学コミュニケーション」をどのように定義するのかについては、人によって解釈が種々あると思いますが、私自身は「科学や科学者と市民を繋ぐこと、異なる分野の科学者同士を繋ぐこと、そこに存在するかもしれない齟齬や対立を認識し、必要に応じてその齟齬や対立を可能な限り少なくすること」のように広く捉えています。そのために、研究機関の行う広報活動やメディアの科学報道も科学コミュニケーションの一貫と考えます。サイエンス・アートも含んでいるつもりです。拙ブログも3割くらいはアウトリーチ活動として科学コミュニケーションの範疇に入る内容を含みます。
研究成果のマスメディア報道について思い出すことが一つあります。
たしか10年ほど前だったか、「生化学若手の会」という組織に呼ばれて科学コミュニケーションについてのパネル討論に参加しました。
拙「仙台通信」を手探りで始めた後くらいだったのですが、パネルには某大手新聞社の科学分野の記者の方もされていたので、その方に「新聞が大事な研究成果をあまり掲載しないのはどうか?」と問いかけたところ、
「新聞の使命は悪を暴くためにあるので、本来良い成果を載せるところではありません」
とキッパリ言われたのでした。
重ねて
「科学者がその成果が大事だと思うなら、自分で発表すれば良いでしょう。研究機関からの発表やブログなど、研究者サイドでできることはあるでしょう」
とも言われました。
その方の言葉は(上記は正確ではないかもしれませんが)とても私の心に突き刺さり、だったら自分でできるかぎりのことをしていこう、と思ったのでした。
(ここに2006年の当該ブログ記事がありました
もう一つ、個人的なことで恐縮ですが、私が科学コミュニケーションに関心を寄せるようになった背景には、父が鯨類学の研究者であり、国際捕鯨委員会の科学者委員会に毎年出席して、捕鯨において適切な捕獲頭数などをどのように科学的根拠に基いて決めるか、という仕事をしていることを知っていたということがあります。
実際には、科学的根拠があってもなお、政治的判断がそれを覆すことも度々だったのですが。
という訳で、研究機関広報にも携わっています。
10年前くらいから、ちょうど研究機関広報も変わり始め、「広報室」が設置されたり、広報の専門家が雇用されたりして、積極的なプレスリリースをするようになりました。
私が所属する東北大学医学部でも、5年前から広報室が立ち上がり、プレスリリース文にわかりやすく手を入れる、記者会見をアレンジするなどのサポートをしています。
もちろん、広報室としては、プレスリリースの結果が大きな報道(この場合、今のところTVや新聞報道、地方よりも中央メディア)に繋がってほしいと思って行ってはいますが、必要に応じて拡大解釈過ぎないようになどの配慮をしています。
さて、今回、最初に理化学研究所発生再生研究センター(CDB)から大々的な発表があり、この10年で積み重ねてきた実力のある研究所だからこそ、(あえて言えば)お作法に則っていない、きちんとした証明が為されていない(でもNatureに受理されてしまった)論文(しかもArticleとLetterと2つ)について、当初、誰も疑う人はおらず、さらに(あえて言えば)過剰な演出にハマったメディアが大フィーバー、ということになりました。
最近の報道によれば、取材用の実験室の内装や割烹着というアイディアは、CDB広報担当者によるものではなく、副センター長を含む論文の著者らの主導によって行われたそうですが、その結果が招いたことを振り返ると、広報担当者がブレーキをかけることができなかったことが残念です。
また、大きな発表という扱いだったために、CDBの広報と理研本体の広報との間での問題もあったかもしれません。
【加筆】メンデルが遺伝の法則を発見したと発表したとき、その発見は(捏造があったにせよ無かったにせよ)せいぜいが彼の名誉になるだけでしたが、現在の科学の発見は研究者にとってさらなる研究費の獲得や昇進に関わりますし、研究者を抱える研究機関にとっても大きな意味を持ちます。
今回、CDBあるいは理化学研究所は「STAP細胞」という研究成果(と思っていたもの)を、美しいパッケージに包み、魅力的なストーリーを付けてメディアに売り込みました。
その作戦は、企業が商品の販売戦略に則って「広告」「宣伝」するのとまったく同じでした。
ジョン・スカリーがアップルに引きぬかれたときに言ったように、人びとは必ずしも商品の中身を精査することなく、パッケージやストーリーが気に入ればその商品を良いと思うのです。
スカリーが大々的な広告を打ったマッキントッシュはもちろん性能もデザインも良かったこともあって売れた訳ですが、今回のNature論文2報はあっという間に種々の疑惑にまみれることになりました。
自戒を込めて言うと、私自身のブログでも、論文そのものの中身の詳細な検証を自分で行わずに最初のエントリーをNatureのエンバーゴすぐに書きました。
iPS細胞やES細胞を自身で扱ったことは無いので、そういう意味で専門家ではありませんが、発生生物学のバックグランドがあったので、概念として「細胞にストレスを与えると多能性幹細胞になる」というアイディアはとても面白いと思いましたし、さらに「胎盤の細胞にもなれる」というのはiPS細胞やES細胞よりもさらに細胞が若返っている点がユニークだと思いました。
今から思えば、電気泳動のデータの作為は見抜けなくても、Supplementalな動画を見ていたら、緑色に光っている細胞がマクロファージというお掃除細胞にどんどん食べられてしまっているような不自然さ(それって、もしかして死にかけている細胞じゃないの?)に気付けたかもしれません。
さらに言えば、極力、STAP細胞の発見(あったとして)に至る発生生物学の歴史や、今後の発展の可能性について重きをおきつつ話題を選んだつもりではありますが、筆頭著者が若い女性研究者であるという属性を持っていたことを、私自身も意識しながら書きました。
割烹着はちょっと調べて、少なくともハーバード留学時代や大学院時代には着用していないことの裏とりもして2月9日の時点で
こっそり記しておきましたし、小保方氏だけが女性研究者ではないので、これまでからと同様にロールモデルとなる女性研究者を紹介しましたが、全体としてソチ・オリンピックまでこのテーマで書く、というキャンペーンを行ったのでした。
論文そのものを細かく検証した方々やデータの再現性を試みた研究者による疑義が表出され始めたのは、けっこう早くて2月5日からだったかと思いますが、その後、毎日のように論文不正と疑われる箇所が見つかり、ついに3月9日の時点で、当該Nature論文に対する疑義の中でも決定的な「博士論文からの画像流用」が発覚し(その博士論文自体もかなりの盗用があり)、3月14日に理研の理事長も出席されて4時間にわたる記者会見が為されました。
その時点では、調査委員会の調査はまだ途中であり、結論は出されていないのですが、「この論文はもはや論文ではないでしょう」ということが明らかであっても、法治国家である日本においては組織内での種々の手続きが必要なのだろうと察しています。
STAP細胞の存在そのものについての検証に加えて、論文作成や記者発表の仕方についても検証すべきとされています。
今回の論文については、発生・再生科学総合研究センター(CDB)の幹部職員が共著者に加わり、当初、理化学研究所として成果をアピールしたにもかかわらず、既に中間報告でも多くの不適切な点が明らかにされていることから、研究実施及び論文作成・発表の過程における理化学研究所の組織ガバナンスの問題について検証すること。
そもそも、科学の世界では、ある論文が世に出て、それを他の方も検証し発展させることによって進んできました。
100年、200年、300年にわたって真実であるような発見の報道は、今日か明日かと一刻を争って為される必要はないはずです。
その意味で、とくに最近では紙媒体での発行よりも前にオンラインで先に公開されることも増えてややこしくなったエンバーゴのシステムも、雑誌の権利を守るという意味では必要なのでしょうが、各種報道機関が事前に取材して一斉にそれに合わせて報道するというスタイルは、不自然さを感じます。
せいぜいが、「先週、先月発表された論文によると……」くらいで良いのではないでしょうか?
科学報道はそういうものである、ということを常識にしてほしいと思います。
【加筆】もちろんこれはメディアだけの問題ではなく、研究機関広報の問題でもあります。
「わかりやすさ」という名のもとにパッケージングとストーリーテリングをどこまで行うのか、その誠実さが求められると思います。
とくに多くの研究機関が国からの資金によって運営され、国からの研究費がつぎ込まれていることは、研究機関広報の中立性や公正性が重要であるということを、今回の(ある意味)極端な事例から改めて問い直すことが必要です。
その中ではクレジットが明らかにされていない(誰が責任を持って書いたのかが不明)のですが、酸による処理の前に細い管を通す処理が必須であるとされており、CDBからNature Protocol Exchnageに投稿された詳細プロトコールとは齟齬があります。
雑誌の字数制限により論文中で「詳細プロトコールは研究室HPに置いておきます」と記すのは、最近では珍しくないことなのですが、今回のように重要な研究のプロトコールに関して、データも無く、ただ書いたものをweb上にアップして既得権を得るのであれば、科学の世界で築いてきたルールそのものが成り立たなくなります。
(データが付随していないという意味では、CDBからのNature Protocol Exchangeも同様です)
……本件についてはいろいろ思うことありますが、もっとも大事なのは、今後いかにして研究不正を予防するかという点にあると思います。
それについては、また改めて書きたいと思います。