3月末に受理された
大学院生が筆頭著者の論文が、このたび2015年7月号の表紙を飾りました。Journal of Anatomyという1867年に創刊された伝統ある雑誌で、解剖学・形態学に関する20誌の中の5位という位置づけです(Wikipediaによる)。内容は、これまで眼鼻の発生、脳の発生の鍵因子とされてきたPax6という名前の転写制御因子が、なんと精巣の中でも発現し、興味深い局在パターンを示すというものです。
精巣の中では日々、精子が作られていますが、精巣でもやはり「幹細胞」というタネの細胞が存在していて、それを元にして「減数分裂」という特殊な細胞分裂により、遺伝子のセットを一揃えだけ備えた生殖細胞、すなわち精子の細胞が生まれます。遺伝情報が書き込まれている染色体を百科事典に例えると、ヒトの普通の細胞は、核と呼ばれる構造の中に、全23巻の百科事典を父方、母方から受け継いで2セット持っています。23巻の最後の1巻は特別で、Xという巻とYという巻があります。女性はお父さん由来とお母さん由来の2つのXという巻をもらい、男性はお母さんから受け継ぐXの巻と、お祖父さん、お父さんと男性にのみ受け継がれるYの巻を持っています。生殖細胞ではこの百科事典が1セットになります。このときに、お父さん由来、もしくはお母さん由来の1セットをそのまま受け継ぐのではなく、第1巻はお父さん由来、第2巻はお母さん由来、と異なる組み合わせのセットになって受け継ぎます。なので、同じお父さん、お母さんから生まれる子どもでも、もともとのお祖父さんのもの、お祖母さんのものがランダムに混ざるので、異なる百科事典のセットを受け継ぐことになります。
このような百科事典の受継ぎが起きるのが減数分裂という現象です。生殖細胞が作られる間、実は同じ巻の百科事典がいったん集められ、部分的にお父さん由来の部分とお母さん由来の部分が混ざった巻が新たに作られます(専門用語で言うならば、染色体の対合、交叉、組換えが生じます)。したがって、生殖細胞に持ち込まれる百科事典のバリエーションは途方も無い数になります。いわば、減数分裂という現象は、単に百科事典のセットを1つずつに分けて細胞に分配するだけでなく、有性生殖により卵子と精子が受精して2セットの遺伝情報を受け取る際の多様性を増す仕組みでもあります。
さて、学生K君が発見したのは、精巣の中のタネの細胞(精祖細胞もしくは精原細胞)や精母細胞において、これまで報告されていないPax6の局在と、精子形成過程における、そのダイナミックな変化でした。とくに、精母細胞のXY体と呼ばれる特殊な構造が形成される時期にPax6の非常に集積し、その段階から約24時間後には排除されて核全体に分布するという、非常に興味深い現象を見出しました。減数分裂の間に同じ号の百科事典が集められますが、Xという巻に比べてYという巻はとても薄い(すなわち、X染色体に比して、Y染色体はとても小さい)ので、かなり特殊なことが生じていると考えられています。例えば、これらの百科事典から情報が読み出されないように、特殊なタンパク質で回りを囲んでロックしてしまうような仕組みがあります(meiotic specific chromosome inactivation; MSCI)。ただし、百科事典のXの巻に記載されている「精子形成に必要な情報」のところだけは読み出しできるような機構もあります。XY体に集積したPax6がその間にいったい何をしているのか、大きな興味がわきます。(下の画像は、論文より転載。左よりステージI-III, V, VIII, X, XIIにおけるマゼンタがPax6タンパク質の局在を、緑は染色体対合に関わるタンパク質を示していますが、非特異的な染色が精細管周囲に見られます)

今回の論文では「Pax6の機能」については解析せずに、まず「現象の観察」を報告しました。それは、機能解析のためには、いろいろな仕込みの実験をする必要があり、それにはとても時間がかかるからです。学生さんの学位取得を考えて、このタイミングでまず論文化するという作戦でした。また、そもそも脳の発生発達をメインに研究している私たちの研究室で精巣を研究したかというと、父親から次世代の脳の発生発達やその結果としての行動に及ぼされる影響について知りたいと思ったからです。Pax6について説明されていたweb上の情報では「精巣におけるPax6の発現はほとんど無い」ことになっていたのですが、Pax6遺伝子が傷ついた変異マウスの父に由来する仔マウスにおいて行動異常が見られたことから、「やっぱり自分の目で確かめた方が良いのでは?」ということから始まったプロジェクトでした。現在、今までの研究人生で、もっとも仕込みの長い研究をしています。Pax6とX染色体という手がかりの先に、本質的に重要な事象が隠されていると感じています。
- Ryuichi Kimura,
- Kaichi Yoshizaki and
- Noriko Osumi*
Article first published online: 1 JUN 2015
DOI: 10.1111/joa.12318