阪神・淡路大震災から22年目の日に、岡田節人が亡くなられた。享年89歳。最後にご尊顔を拝したのは、京都大学の友人のご披露宴の折だったのではと思う。その方の息子さんが、なんともうお受験らしいので、12年以上前のことになる。
最初にお目にかかったのは、たぶん大学院時代の発生生物学会の年会だったはず。京都大学の岡田研で修士号を取った方が、自分にとっては医科歯科で2つ上の先輩だったので、折りに触れ、その人となりは伺っていた。学会では若い方の口頭発表を一番前で聴いて、「あんた、何のためにその研究をしとるんや?」などと、鋭い質問をされていた。「節人節(ときんどぶし)」と呼ばれていた。
ご縁があって、その後、何度か国際会議で御一緒させて頂く機会があった。内藤財団の国際会議で、香港に御一緒したこともあったはず。だが手元に残っているのは、日本から10数名が参加してインドのマイソールというところで開催された1995年のシンポジウムの折のもののみ。やはり、トレードマークともいえる緑のジャケットをお召しになっている。上の写真は、シンポジウムの最後の懇親会で、感謝の記しとして、先方の主催者の先生に額をお渡ししているところ。カエルの研究者の方だったので、カエルのモチーフだ。
節人先生のことは、きっとこれから、もっと身近な方々がたくさんのメッセージを残されると思うが、発生生物学会や細胞生物学会など、関連学会の方々にとっては、とてもとても大きな存在であった。国際発生生物学会の会長もなさっておられたし(そのときの国際学会では、白地の紋付袴でバンケットに出られていた)、京都大学を退官されてから、基礎生物学研究所の所長、そしてJT生命誌研究館の館長などを歴任されていたので、本当に長い間、この分野を見守って来られたと思う。
伊丹に代々続く造り酒屋の「ぼんぼん」だったので、車はアルファロメオ、大学の先生にしては(笑)ファッションも一流、でもさらにお爺様の代のエピソードが豪奢で、蝶だったか鳥だったかのコレクターだったのだけど、斡旋業者から「珍しい鳥(蝶?)がありますが、その輸入のためには、一緒に象(!)を連れてこないといけないのですが……」、「よっしゃ、買うたる!」ってことで、象とともに鳥がご自宅に到着。でも冬が越せなくて象が死に、結果、鳥も死んでしまった……」なんていうお話を伺ったことがある。
伊丹弁でお話されるのだけど、「You know, ...」という英語の発音が「そやろ?」と同じだったなぁ、なんてことを思い出す。文化功労者に選ばれた折に、授賞式のために宮中に参内したら、同時に受賞される何かの芸術系の方から「最近は科学をされている方も受賞しはるんですな……」と言われたと笑っておられた。でも、節人先生ご自身は音楽の造詣も深く、生命誌研究館の「サイエンスとアート」を融合したようなイベントにも熱心であられた。
私自身にとって、研究キャリアの最初が発生生物学だったのは、もともと時間軸に沿って変化する現象が好きだったこともあるが、
『試験管の中の生命 細胞研究入門』(岩波新書)の影響もある。節人先生は日本において、古典的な「実験発生学」の時代から、細胞レベルの研究への梶を切った方だった。その当時、結構流行っていた「誘導因子」を個体まるごとから見つけるということよりも、もう少し単純な系にシフトした方が、明快に理解できることも多い、という方向付けだった。
節人先生は「Transdifferentiation(分化転換)」という概念を提唱され、モノグラムも英語で書かれている(……そう、思えば、昔の学者はこういうモノグラムを書かれたものだが、最近はインパクト・ファクターの付かない著作は無駄だから行わない、という研究者が増えたのが残念だ)。ちなみに、TS Okadaの「S」は「節人」の「節」を「Setsu」と読んだもの。
Transdifferentiation: Flexibility in Cell Differentiation by Tokindo S. Okada (Hardback, 1991)

分化転換とは、例えばイモリの黒目の細胞(色素細胞)が色素を失った脱分化した状態を経て、透明な水晶体細胞に分化するという現象のことを指す。言葉そのものを名付けたのは、もしかすると元熊本大学長などもされた江口吾郎先生だったかもしれない。
恐らく、節人先生にとっては、留学先のエジンバラ大学で
コンラッド・ウォディントンの影響があったのだろうと想像するが、分化転換という現象は、その後、例えば山中先生のiPS細胞の誘導や、あるいは、直接、皮膚の細胞を、多能性幹細胞を経ずに神経系の細胞にする、などの技術の下敷きとなっている。そういう意味では、節人先生や江口先生のご研究が山中先生のノーベル賞に繋がったと言えなくもないだろう。
スティーブ・ジョブズの伝説的なスピーチの言葉をちょっともじって言うなら、「点と点は後から見れば繋がっているのだ」。
それにしても、つい先日(1月10日)には
オリヴァー・スミティーズ先生がお亡くなりになったところだ。2007年にノーベル生理学医学賞を受賞されたスミティーズ先生は、奥様の前田信代先生のご家族が仙台在住というこもあり、何度も本学を訪れておられる。昨年11月に来仙された折、当研究室にもご訪問頂き、ラボメンバーとディスカッションさせて頂いたばかりだというのに、突然のことで言葉もない。その折にデータの解釈について指摘して頂いたことを、現在第三コーナーを曲がった段階の研究を発表する際に是非活かしたいと願っている。
巨星の先人たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。