「ジェンダー」は必要か?

仙台も12月には珍しいくらいの大雪である。
幸いセミナーに呼んだ荻野さんは無事に来て頂けてほっとした。

さて、ここしばらく「ジェンダー」という言葉に疑問を感じている。
社会学などの方達の学問や文化を否定するつもりなのではないのだが、どうも生物学に馴染んで育った私には「???」と思うことが多いのだ。

きっかけは、私のボランティア活動の1つである男女共同参画についてよりよく知るようになったからである。
平成13年度に東北大学の男女共同参画委員会が立ち上がったときからその委員を務めているが、当時はほとんど何も分からなかった。
そういう意識を持って育っていなかったのだ。
そうこうする間に、分子生物学会の男女共同参画委員会が立ち上がってその委員長になり、さらに大きな組織である男女共同参画学協会連絡会の委員長をすることになった。
分生や学協会の場合は、仲間は同じ生物系であったり理系の方達である。
しかし、世の中でこの「共同参画」をこれまで推進してきて、現在でも中心となっているのは、おそらく、いわゆる「文系」の方であろう。

文系の方々は好んで「ジェンダー」という用語を使われる。
ジェンダーはごく普通の定義としては「社会学的性」であり、「生物学的性」であるセックスと対比される。
「女らしさ」は社会的に与えられたものである、という考え方は、確かに「そうかな」と思う部分もあるが、どこまでが社会から押しつけられたものなのかは、判定が難しい。
だが、そもそもわざわざ「ジェンダー」という言葉を使う必要はあるのだろうか?

いくつかの文献を読んでみて、実は非常に驚いた。
なんと、「最近のフェミニズムの議論は、もっと大胆な視点を提起している。セックスがジェンダーを規定しているのではなく、むしろ、ジェンダーがセックスを規定している、という指摘である」(『女性学教育/学習ハンドブック ジェンダーフリーな社会をめざして』国立女性教育会館 女性学・ジェンダー研究会編著 有斐閣)という記述を見つけた。
いったいどうしたら、「社会学的性」が「生物学的性」を規定することができるのだろうか???

上野千鶴子氏による『差異の政治学』(岩波書店)はもっとすごい。
「遺伝子、内分泌、外性器のどれをとっても、自然界には性差の連続性があるのに対し、文化的な性差は中間項の存在をゆるさず、男でなければ女、女でなければ男、と排他的な二項対立のいずれかに、人間を分類するのである。」
どうも、根本的に「生物学」や「統計学」が分かっておられないように思う。
染色体レベルの性としては「XX」と「XY」がほぼ半々で、ヒトの大多数を占めている。
確かに性染色体の異常を持つヒトは生まれるが、それはごく稀であって、「連続的」と言えるようなものではない。
染色体レベルで「XY」であっても、Y染色体の遺伝子の一部に傷が付いていると、雄としての発生を遂げられない場合があることは確かだが、これも非常に稀なことだ。
生物学的にヒトは「イブ原則」があって、デフォルトは雌であり、特定のホルモンのシャワーをあびることによって雄化するということは確かである。
しかし、「ホルモンの連続性からいえば、世の中には「より男性的」もしくは「より女性的」なホルモン分泌をもった個体、または状態があるにすぎない」(同上)という概念は正しくない。
ヒトの雌と雄は一つの大きな正規分布の中に存在しているのではなく、雌の何かの性質の正規分布と雄の何かの性質の分布は離れたメジアンをもつ2つのグラフであって、確かにその重なり合うところはあるだろうが、それは全体の集団の中ではごく稀なのだ。

上野氏は「文化的な性差は中間項の存在をゆるさず、男でなければ女、女でなければ男、と排他的な二項対立のいずれかに、人間を分類するのである。」と述べておられるが、「オカマ」や「ゲイ」という分類は立派に文化的な分類であって、生物学的には、染色体レベルや肉体的レベルでは「男性的」と分類されるだろう。
生物学には明確な基準がある。
ただし、「脳の性差」においてはその嗜好性が通常の男性とは異なると考えられる。
その理由はまだ不明である。

いったいどうしてこんな本が書かれるのか?
「ジェンダー学」を学ぶ人たちはこういう本を読んで育つのか?
高等学校ですべての生徒にきちんと生物学やら統計学やらを教えないのは間違いではないのか?
優秀な生物学者は論文を書くのに夢中で、あまりにもさぼっているのではないだろうか?
当たり前の普通のことを普通の人たちに普通に伝える本がもっと必要ではないか?

結論。
私はやっぱり「ジェンダー」という言葉が胡散臭くて嫌いである。
「フェミニズム」も大嫌いである。
ただし、もし、家庭と仕事の両立や、子育てや介護で大きな負担を強いられ、そのためにキャリアを諦めるような女性が、現実に、多数いるのであれば、その人達のために何か今できることをしたいと、心から思う。
あるいは、「女の子だからエンジニアになるのは無理かなあ?」と思う中学生に、「なりたいものになっていいんだよ」と背中を押してあげたいと思う。
それはすでに一山超えることができた人間としての務めだと考える。
by osumi1128 | 2005-12-19 23:58

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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