惜別

仙台の家では新聞を取っていない。
メジャー紙の夕刊がないのと、出張のたびに「いつからいつまでお休みします」と伝えるのが億劫なためだ。
普段のニュースはネットやテレビがあるが、新聞というのはそれにはない楽しみも多い。
研究室では河北新報という地方紙をとっていて、これは学内の先生の記事などが多く掲載されているので身近で面白い。
で、東京の実家に来るたびに、朝日新聞をまとめて読む。

昨年12月11日に亡くなった月田承一郎先生の記事が、1月16日月曜日の朝日新聞夕刊「惜別」のコーナーに掲載された。

800字に満たない字数で52年間の人生を表すというのは、どんなに難しいことだろう。
まして、残された家族や友人が読まれるということを考えると・・・。

記事を書かれた瀬川茂子さんは、東大の地学出身で、MITに留学されサイエンスライターのコースを取ってから朝日新聞社に就職された方で、科学朝日やアエラにも出向されたが、今は科学医療部の記者をされておられ、ご著書には『不老不死は夢かー老化の謎に迫る』(講談社)などがある。
私にとっては高校の後輩であり、研究プロジェクトのニュースレターの対談をお願いしてお世話になっている。

関西でお仕事されていたときに月田先生にお目にかかることもあったらしい。
記事では、熊本大学の永渕さん、阪大の高井先生、CDBの竹市先生の言葉が取り上げられている。
静謐な筆致といおうか、プロジェクトXのナレーションを思い出した。
以下、最後の2段落を引用させていただく。

 一昨年、膵臓がんが見つかった。「余命が限られているのなら、薬の副作用で考える力が衰えるのは耐えられない」と研究仲間の野田哲生・癌研究会癌研究所副所長に話し、慎重に治療法を選択した。研究史をまとめ、「もう15年くらいは研究したかった」と書いた。

 死の3日前まで研究室に通った。最後の論文は、三つの細胞が接する点で働く分子の発見について。その成果を大学院生が学会で発表した様子をビデオで見届けてから、自宅で家族と親しい友人に見守られて旅立った。


記事に使われた写真は、研究室で、家庭で、30年来ともに過ごした早智子さんの肩を抱いて、楽しそうに笑っておられる2004年春のもの。
人々の記憶の中で、月田先生はこの笑顔として固定化されるのだろう。
52歳の死はあまりにも早かった。 
by osumi1128 | 2006-01-21 10:34

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