拙著の裏話を続けます。
もっとも悩ましかったのは、基本的な神経系の話と、基本的なセントラルドグマの話を盛り込むかどうか、ということでした。私としては、これらは折り込み済みとして進めたかったのですが、編集の方から「ちくま新書の読者のマジョリティーは文系なので入れてほしい」というご意向を伺いました。なので、本書の読者で「基本的な神経系の仕組は知っている」方や「基本的な遺伝子の働き方の仕組は了解済み」の方は、その部分は飛ばし読みして頂けば……と理を入れています。でも、例えば理科の先生や大学の一般教育の生命科学の授業を担当している教員の方などは、もしかするともう一度読んで頂くと、「こういう言い方をすればわかりやすいかもしれない」というヒントになるかもしれません。
このあたりは、昨年の
ブルーバックス『脳からみた自閉症』のときも同様でした。ブルーバックスの読者層はもう少し理系の方が多いのではないかと思われますが、それでも同様のパートを組み込みました。神経系の方はまだしも、「基本的な遺伝子の働き方」というところから説明しなければ神経発生の話に入れない、というのはとても残念なことでした。
……これは日本の知の構造が、もしかしたら他の国々と異なるのではないだろうか、ということを危惧しています。ご存知のように、東大の理科一類、二類、三類、文科一類、二類、三類という入試制度に象徴される「理系・文系」の区別は高校教育にまで影響し、「理数系」のクラスと「文系」のクラスに分かれた授業を行うこと、それが「効率的」な受験指導ということになっています。結果として、文系選択の生徒にとって生物学は「覚えなくてもよい」科目とみなされ、そのまま大学へ進学し、専門科目が前倒しで教えられる傾向とも相まって、リベラルアーツとしての生命科学に接する機会も十分にないまま社会に出ることになります。
昨日、とある原稿を書き終えました。それは来年に刊行される予定の『自閉症学のススメ(仮)』という、高校生から大学生を対象とした書籍の一章だったのですが、「自閉症は最近になって増えているのだろうか?——生物学の立場より」というタイトルで書きました。この執筆の際、他の章を担当される文系の方に素稿をざっと読んで頂いたところ(つまり匿名での査読)、種々の用語に「説明を加えてほしい」と言われました。
例えば、「コホート」や「de novo変異」、あるいは「ヘテロ接合」くらいなら、「あ、すみません、専門用語使ってしまって……」という気持ちだったのですが、「エピゲノム」、「メチル化」だけでなく「クロマチン構造」も「mRNA発現」も……となると、書き方がまったく変わりますね。
なので、これからも地道に自分のできる範囲で一般向けの書籍を著し、この分野の面白さを自分の言葉で伝えていきたいと思います。
……それで思い出したことがあります。
幼少の頃、両親の年始ご挨拶に連れられて行くのが恒例でした。今はそういう習慣は無くなりましたね。それぞれのお家のお雑煮を頂くのは子どもながらに楽しみでした。そのようなご挨拶に伺う先に、母の師匠の湯浅明先生という方がおられました。東京大学から日本女子大学に移られた先生は植物学がご専門で、多数の本を執筆されていました。先生が「書籍を積み上げて自分の背丈になるくらいにしたい」というようなことを言われたことを、今でもよく覚えています。「なるほど、学者という仕事は本を書くのだ」ということが小学校に上がる前から刷り込まれたのは湯浅先生に起因します。「どうやってそんなにたくさん本を書けるのですか?」と訊いたのかどうかは覚えていないのですが、「執筆するネタを、こうやって集めているのですよ」と、レターキャビネットを見せて頂いたように記憶しています。今は電子化されてレターキャビネットではなくて、Twitterでタイムラインに残したり、それをさらにEvernoteで保管したりというやり方で踏襲している訳ですね。
みなさま、どうぞ良い年をお迎え下さい。ブログは来年も続けますが、少しスタイルを変えようと思っています。