ブレンダと呼ばれた少年

昨日は研究プロジェクトのチーム内交流会に泊まりがけで出かけた。
こういうリトリートは共同研究を進めたり、ラボ内の士気を高めるのに意味がある。
雪の仙台からせっかく下田まで出かけたのに、今朝はまた雪を見る羽目になった。
全国的に冷え込んだようだ。

帰りは単独行動だったので、購入してあった『ブレンダと呼ばれた少年』(ジョン・コラピント著、村井智之訳、扶桑社)というドキュメンタリーを読み始めた。

1967年7月3日、ブルースという名前で生まれた8ヶ月の男の子が去勢手術を受け、ブレンダとして育てられることになった。
帯の文を引用すると:

不幸な事故で性器を失った男の子が性転換手術を受けさせられた。
「性は環境によってつくられる」という理論の裏付けに利用された。


ということである。
その理論を打ち出したのは、ジョンズ・ホプキンス大学のジョン・マネーという著名な性科学者である。
それまで、マネーは半陰陽者における性心理の柔軟性を唱える理論を打ち立てていたが、さらに発展して「もともと正常な染色体や形態を有する子供でも、どのように育てられるかによって、自己のジェンダー・アイデンティティーを確立する」という仮説を実証したいと思っていた。
ブレンダは、いわばその実験例の第一号となり、女の子として育てられたのだ。
しかも、ブレンダには一卵性双生児の「弟」がいたことも、またとない好条件であり、当時、実名を伏せて「双子のケース」として注目を浴びた。
これによってマネーの「誕生時の性認識中立説」はフェミニズムの業界からもてはやされることになった。

思春期以降にその「性認識の不一致」に悩んだブレンダは、やがて真実を知ることになり、再びデイビッドという男性としての人生を歩むが、2004年に38歳で自殺した。
まだ最後まで読み切っていないのだが、本書は、デイビッドに対して1997年に行われたインタビュー等をもとに書かれ、2000年に出版されている。

実はマネーが有名になっていった同じ頃に、ミルトン・ダイアモンドという当時カンザス大学の大学院生だった研究者は、妊娠ラットに大量のテストステロン(男性ホルモン)を投与し、胎児に与える影響を調べた。
その結果、子宮内でテストステロンに曝露された雌ラットは、雄的行動を示すことが分かった。
ダイアモンドは「Endocrinology」という雑誌にこの結果を発表し、「ジェンダー・アイデンティティーは胎児期から脳に組み込まれている」と主張したし、その他にもさまざまな批判があったが、マネーの学説はいわゆる「ジェンダー学」の基礎をなす証拠と見なされるようになっていった。

私がここしばらくの捏造論文について考える際に、いつも思い出すのはこの話である。
マネーはブレンダの例を利用し、両親からの再三に渡る「ブレンダが男性的行動を取るが、話が違うではないか」という問い合わせを取り合わなかった。
マネーが発表した「双子のケース」は一種の捏造と言えるのではないか?
マネーは全米精神医学協会のホフマイヤー賞等を受賞し、1963年にはNIHから20万5920ドルの研究費を受け取っている(これは当時の研究費の額から考えてかなりのものだ)。

韓国のES細胞の論文は大きな社会問題となり、専門家による調査の結果「取り下げ」になった。
これは、科学者コミュニティーの自浄作用が働いたといえるだろう。
私にとって不思議なのは、生物学的根拠に欠けるマネーの学説が、日本ではいまだに流布していることである。

追記:
念のために付け加えておくが、上記の私の意見は「法の下の平等」や、両性がともに働きやすい環境を目指すという男女共同参画の精神に抵触するものではない。
by osumi1128 | 2006-02-04 22:32 | 書評

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