ジェンダーフリーとは?
2006年 02月 10日
「ブレンダ」のエントリーについて、コメントを有難うございます。
「遺伝子」の定義は1つではありませんが、科学者が議論する際には、私はこういう定義で使いますよ、ということを明らかにした上で、一貫した言葉を使うと思います。
「ジェンダー」の定義については、いろいろな変遷があるので、周りの人間は混乱するところが大きいのではないでしょうか?
もともとは、言語学における「男性名詞・女性名詞」などを表すのに使われたのが「ジェンダー」だったはずで、そこから「<生物学的性>に対する<社会的性>」という意味になったと理解しています。
最近では、東大の上野先生が「ジェンダーとは差別する行為である」という発言をされています(彼女はクリスティーヌ・デルフィーの言だと述べていますが)。
こちらを参照下さい。
「ジェンダー」の定義を「差別する行為」とするのであれば、それはそれで構いませんが、「差別する行為」が「セックス(生物学的性)をつくる」ことは、生物学者なら不可能だと分かるでしょう。
普通の人たちの感覚も、むしろそれに近いものだと思います。
このような背景が「ジェンダー学」は何を言おうとしているのか?という「訳のわからなさ」に繋がっている気がします。
「ジェンダーフリー」という言葉を「差別行為撤廃」という意味で使うのであれば、わざわざカタカナを使う必要もないと思います。
それにしても、「ジェンダーフリー」を理想とする学派の根拠になったのが、「生まれてすぐに男か女かをはっきりさせて育てるべき」というマネーの学説というのは、自己矛盾のように見えます。
マネーの学説に基づき、長いことアメリカの医学界では生まれて間もない半陰陽の子供に「性別再判定手術」という不当な、そして精神的にも大きな傷を負わせる行為を行ってきた訳です。
私自身は、個人個人の多様性が認められることが平和な社会の条件であると思っています。
ただし、これは「男らしさ」「女らしさ」を否定するものではありません。
ところでそういえば、「学術の動向」という雑誌の2005年12月号に、日本学術会議第20期の「女性会員一覧」が顔写真付きで載っていました。
全員の顔写真付き略歴等が掲載されている、のではなく、「女性だけ」です。
今回いっきに20%の比率に上げたことを世の中に知らしめようとしているのか、意図がよく分かりませんでした。