ポスドク問題の元

1月25日のエントリーポスドクのキャリアパスについてや、テニュアトラックほかには、たくさんのコメントを頂きました。
これらの問題が大きいことを表していると思います。

いつも読んでいる5号館のつぶやきさんも最近失業した助手?というエントリーを立てておられました。

少し前にどなたかから、ポスドク問題と言うけれど、社会的には「ニート」の方がずっと大きな問題である、というご指摘を受けたことがあります。
このことについては、ニートの問題はさまざまな社会要因が複合的に重なっているのに対して、「ポスドク問題は人為的であることがはっきりしている問題である」ことをもって反論したいと思っています。

1996年に第1期科学技術基本計画の中で「ポスドク1万人計画」が打ち出されたのは、90年代に入って進行した「大学院重点化」による大学院生定員増加を受けてのものであり、さらに即戦力としてのポスドクを必要としていた現場の研究室があったからです。
「大学院重点化」は、子供の数がやがて減る→大学に進学する学生の数も減る→教員の数も減らそう、という大蔵省(当時)に対抗して予算を減らされないようにするために、文部省(当時)が編み出した作戦だったと思っています。

初等中等教育の場合も同じなのですが、本当は一人の学生を育てるには手厚い指導が必要であり、戦後復興期の状態でははなはだ手薄で問題だ、という正論を通せなかったことに大きな誤りがあるのではないでしょうか?
大学生の数がやがて減る、だから、大学院生の定員を増やして、その教育に当たることにして現状を維持しよう、という発想が安易だったように思うのです。
当時私は助手くらいの頃でしたから、あまり物事が分かっておらず、全国で先生方が「重点化」に右往左往しているのを眺めていました。
○○大学も重点化したから、うちもしなければ乗り遅れる・・・といったような、まるでオイルショックの頃にトイレットペーパーを買い求めて走り回ったような騒ぎでした。
本来、大学院など作っても仕方ないような大学まで「悲願」のように重点化を目指したのは、日本人独特のメンタリティーかもしれません。
あっという間にバタバタと大学院ができたのは、日本だからこそなのでしょう。

日本が科学技術立国を目指すのであれば、現状の大学院生やポスドクの数というのは決して余剰であるとは思いません。
足りないのは、彼らを指導する教員の数であり、ポスドク後のポジションです。
先日、とある資料で「やっぱり」と思ったのは、アメリカのワシントン州立大学の医学部は東北大学と同じ程度の学生の数であるのに対し、教員ポストは約3倍いるということでした。
ハーバード大学医学部に至っては、さらに多くの教員ポストがあります(私学ですし、あまり比較の対象にはなりませんが)。

ニートと違い、ポスドクというポジションを国が作ったことははっきりしているので、少しはその受け皿になるポジションを用意すべきだと私は思うのです。
具体的には、官公庁や関連団体で、専門的な経験を生かせる活躍の場があるべきだと考えます。

急に数を増やしていて最近気になるのは薬学部です。
今年は全国あちこちで新設されています。
6年生の臨床薬剤師を増やすことは総論としては良いことだと思うのですが、また後で「就職先がない」という問題が出てくるのではないでしょうか?
by osumi1128 | 2006-02-11 01:09

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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