『「気づく」とはどういうことかーーこころと神経の科学』を読んで気づいたこと

東北大学名誉教授で神経心理学者の山鳥 重(やまどり あつし)先がの今年4月に
『「気づく」とはどういうことかーーこころと神経の科学』(ちくま新書)を上梓された。すぐにご恵贈頂いていたのだけど、なかなか読む時間が取れなかったのだが読了。すでにちくま新書からは『「わかる」とはどういうことかーー認識の脳科学』という名著がロングセラーになっているが、こちらの方がさらに読みやすいという印象。
出掛けに眼鏡が見つからなくて、何度も見直したら、最初に見たところに見つかったりして、なぜ気づかなかったのだろう、というような体験は誰にでもあるだろう。科学者にとっては「発見」は重要なので(それに基づく仮説を「証明してナンボではあるのだが……)、「気づく」というこころの営みは非常に重要。
プロローグで山鳥先生ご自身が体験された「あ、気がついた」というエピソードが紹介され、まさに「気づき」についての著書の構想段階でそのような経験をするという運命があったという。
山鳥先生は心理過程を「感情・心像・意志」に分ける。それぞれ、「知情意」というよく知られた言葉の「情・知・意」に相当するのだが、順序が異なる。「情・知・意」の順序で、無意識から意識的な心理過程となる。「感情・心像・意志」は米国の発生神経解剖学者ポール・ヤコブレフの神経回路理論における最内層神経系、中間層神経系、最外層神経系に対応すると整理される。
ここで重要な点は、こころの営みに関わるのは「脳」だけではなく「脳から脊髄まで」ひとつながりになった神経系である」という認識だ。これは、多くの脳科学の書籍で、あるいは研究の現場でも疎かになっている。そもそも「脳科学」という捉え方自体、脊髄やその他の神経系を無視していることになる。人間は脳だけで心をつくりだしているのではない。たぶん、脳だけどれだけスキャンしても、こころを理解することはできないだろう。(簡潔な図が
こちらの記事にあったので、拝借させて頂きます)
わかりやすい事例として、過敏性大腸症候群を取り上げよう。この疾患には、無意識レベルでの腸の動きに対する認知の過敏さが影響しているのだが、腸の働きを脳まで伝えられるのは腸管に張り巡らされている自律神経系があるからだ。また、ストレスを意識して不安という感情が沸き起こったときには、腸の運動が活発になってしまい、悪循環に陥る。これからは「脳科学」ではなくて「脳脊髄神経科学」と標榜するか、あるいはシンプルに「神経科学」と捉えた方が、むしろ広く包括した用語かもしれない。
そもそも、山鳥先生は「脳がこころを作り出す」という立場ではなく、「神経過程」と「心理過程」は「共存」あるいは「並行」していると考えておられる。もちろん、神経系の働きがなければ心理過程は生じないが、それらは同じ現象とはいえず、「こころはこころ独自の原理に基づいて働いている」という。
分子生物学から神経分野に参入した者として、当初これは受け入れがたい考えであったが、本書に書かれた山鳥先生の説明で納得した。それは、物質から「いのち」がどのようにして誕生したのか、ということとのアナロジーだ。
46億年前に地球が誕生し、約40億年前に、その後の「いのち」に繋がる最初の細胞のようなものができると、その営みは確かに物理的な原理に縛られつつ為されてはいるのだが、俗に言う「負のエントロピーを食べて」生物は生きているという点において、単なる化学反応の無数の組み合わせ以上のものになっている。
さて、ヤコブレフの3つの神経回路に戻るとすると、脳と脊髄がもともとひとつながりの「神経管」という組織として発生するという事実の重要性が再認識されるように思う。また、外胚葉から神経管が形成される際には、巻き上がった神経管の背中側の部分に「神経堤(しんけいてい)」という領域が生じ、そこから胚の体内に遊走する神経堤細胞という特殊な細胞が、末梢神経系のうちの感覚系の神経回路を構築することも、神経発生を専門とするブログ主として指摘しておきたい。
何気ない「気づく」という言葉から、「こころと神経の科学」を見渡すのに、本書ほど優れた書籍は無い。
【関連リンク】
筆者パート監修:『
カンデル神経科学』(メディカルサイエンスインターナショナル社)