故月田承一郎教授を偲ぶ会

2月16日金曜日、京大時計台百周年記念講堂で「故月田承一郎教授を偲ぶ会」が開かれた。
12月に亡くなられてから2ヶ月あまり、教室の方々をはじめとする多くの方々の力により、ご遺志に基づいた形で「偲ぶ会」は執り行われた。

黙祷の後、京大医学系研究科から、成宮周先生と本庶佑先生が追悼の詞を述べられた。
次に、スクリーンには月田先生が国際会議で発表したスライドが映され、ライブ録音のお声が流された。
その後、竹市雅俊先生と野田哲生先生のお言葉があり、さらに、この1年余の間に月田研から発表された論文の筆頭著者4人がそれぞれの成果をプレゼンし、最後に早智子夫人のご挨拶があった。
参列者はその後、月田先生がお好きだったというBGMが流れ、生前の写真が上映される中、遺影の前に置かれた台に献花をし、月田先生にお別れをした。
CarpentersのYesterday Once Moreを聞きながら、涙が止まらなかった。

月田先生の膵臓癌が見つかってから、化学療法によって1年くらい病気の進行は抑えられていたらしいのだが、その後、膵臓周囲のリンパ節への浸潤が分かった時点で、先生は「治療を止めたい」と願われた。
周囲の方々は一日でも長く生きて欲しいと懇願されたが、ご自身は、副作用等でサイエンスを考えることができなくなるよりも、最後の最後まで科学者でいることを望まれたのだ。
そして、実際その通り、亡くなる1週間前には論文のまとめについて数時間にわたる議論をし、4日前には大学に出られ、1日前はご自宅で分子生物学会での大学院生のトリセルリンの発表のビデオを見て、そうしてその日の夜中、日付の変わった頃に天国へと旅立たれた。
参列者に式次第とともに配られた『小さな小さなクローディン発見物語』(羊土社)という本は、亡くなる1ヶ月前くらいに2週間ほどで書き上げられたという。

『クローディン物語』には「若い研究者へ遺すメッセージ」という副題が付いている。
帯には本文から次のくだりが抜き出されている。

天才も擁しない貧乏旅団、何か一ひねり二ひねりないと
目立つような研究はできないでしょう。
そこで考えました、というか形態学的勉強をしてきた
僕と家内には「見え」ました。


月田先生にとってセレンディピティーとは、他人には宝と見えないものが「見える」ことだという。
この「視力」があるかどうかがサイエンスにおいて成功できるかどうかの鍵なのだ。

月田先生は非常にオリジナルなサイエンスを展開された。
それは「形態学を最大限に生かした分子生物学」とでも言おうか。
電子顕微鏡で認められる細胞と細胞の間をつなぐ微細な構造をじっくり見るところから、その物質としての実態と機能を明らかにするというものである。
20年以上に渡るタイトジャンクション(密着結合)の分子群の同定の研究は、月田先生の頭の中では「Barriology」(上皮バリア機構の生物学)として、まさにこれから展開しようとしていたところだった。

いい人生をありがとう。ただもう少し生きていたかった。
(早智子夫人による「あとがき」より、月田先生の言葉として)


偲ぶ会で淡々と司会をされていた助教授の古瀬さんを初めとする月田先生のお弟子さんたちや、早智子夫人の手によって、今後月田先生のBarriologyがどのように結実するのかを見守りたい。
合掌。
by osumi1128 | 2006-02-17 22:17

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