あっという間に数週間が過ぎてしまったのですが、7月29日の国際シンポジウム@東北大学にジェニファー・ダウドナ先生をお招きしました。
実は、折しも台風12号ジョンダリが日本接近。
当初はシンポジウム当日朝にスカイマークで神戸空港から仙台移動の予定だったところ、コーディネータの房木先生のナイスアドバイスにより、飛行機はキャンセルし、前日の午後、新幹線で神戸から東京経由で仙台まで陸路での移動。
おかげで、ダウドナ先生とはより長い時間を過ごすことができたことは幸いでした。
こちらの拙ブログにはもう少しパーソナルなことについて、いくつか備忘録として残しておきます。
ダウドナ先生はハワイで幼少期を過ごされたこともあり、日本には何度も来られており、今回は「たぶん5回目」とのこと。
東京、京都に加えて、今回は神戸に加えて仙台を訪れることができるということを楽しみにされていました。
やはり、研究者は好奇心旺盛。
ご両親は歴史を教えておられ、お父様の本のコレクションの中でJim Watsonの『Double Helix』に出会ったことが科学者への道のきっかけだったとのこと。
そういえば、ダウドナ先生の基調講演の座長をされた五十嵐研究科長が「お名前の中にDNAが入っていますね!」と言われていましたが、「Doudna」という名字は「Do U DNA」という言葉が隠されています。
大学院からポスドクの研究室は有名どころを渡り歩いて、1994年よりイエールで独立、2002年よりカリフォルニア大学バークレー校に移りました。
さらに昨年からはUCSFのGladstone Instituteにおいてもブランチの研究室を維持されています。
こちらの研究室ではとくにハンチントン舞踏病などの神経疾患の治療ためのゲノム編集技術の応用に取組まれているようです。
ひとしきりお喋りをした後は、新幹線の中でも「今、投稿直前なの」と言われてPCを取り出され、原稿を仕上げていました。
必要な時にどこでもオフィスとできる方とそうではない方は、長い年月の間に蓄積されるものが違っていきますね。
さらに、仙台のWestinホテルには「ジムもあって宿泊客は無料で使えますよ」とお伝えしておいたところ、時間をみつけてしっかり利用されていました。
フルマラソン大会参加を目標にされているようです。
台風のおかげはもう一つあり、九大の石野良純先生も前日入りとなったため、小さな夕食会を開催することができました。
石野先生は、CRISPR/Cas9のゲノム編集技術のもとになった「不思議な反復配列」を最初に発見され1986年の論文に書かれた方。
そのため、ダウドナ先生は今回、石野先生にお目にかかってお話しでき、とても喜んでおられました。
このセッティングで、今回の企ての3分の1の目的は達成できたと自負しています。
実は、CRISPRを用いたゲノム編集のいちばん大元の「発見」が日本人の研究者によるものということは、日本人でさえ案外、知らない方が多いので、2016年に日本分子生物学会の市民公開シンポジウムにも石野先生をお呼びしていました。
企てのもう一つの3分の1がこの側面です。
今回の東北大学知のフォーラム5周年記念イベントについては、追って英語サイトでも報告する予定で、このような「英語での」発信をすることが大事だと考えます。
たとえば、先日、来日講演されたフランシスコ・モヒカ博士は自分が最初の発見者であると常に主張されますが、石野先生の論文は「どういう意味があるのかわからないが、不思議な反復配列」として今日のCRISPR配列を1986年に報告したのです。
ノーベル委員会がきちんと経緯を辿ってくれるか期待しています。
東北大学のシンポジウムでは、石野先生が最初の発見の経緯について詳しく講演されました。ダウドナ先生の記憶にもしっかり残ったことと思います。
また、実は時期的には重なっていないものの、ともにイエール大学に在籍されていたことなどもわかり、良い親睦の機会となったことをオーガナイザーとして嬉しく思いました。
スピーカーの一人、守谷先生のイントロでは「B.C.=Before CRISPR」、「A.D.=After Doudna」という洒落を披露され、大いにウケました。
本当に、かつてES細胞と相同組換えでノックアウトマウスを作製するには1.5年くらいはかかっていたものが、今のCRISPR/Cas9なら1.5ヶ月くらいに短縮されたのです。
もっともそのことによって、生命科学の世界はさらにスピードが求められる時代になってもいるのですが……。
シンポジウム前の昼食会では、開会のご挨拶を頂く大野英男総長にもご一緒して頂きました。
シンポジウム後には、スピーカーと座長、コーディネータの方に加え、さらに、本学で学位を取ったあとにダウドナ先生のところでポスドクをされた方(現大塚製薬工場)もご一緒に夕食を共にし(「シンポジウム」の語源はギリシア時代に「一緒に饗宴を共にすること」だったと聞いています)、大いに盛り上がりました。
会場の日本料理のお店はフィールズ賞受賞者なども訪れたことのあるお店で、女将さんがダウドナ先生に揮毫を求められたところ、しばし考慮されたのち、一気に書かれた・描かれました。
いずれ額装されて飾られるものと思います。
(画像は女将とそのお嬢さんとともに揮毫の前にて、筆者撮影)
パワフルさを感じる数日でした。これからのさらなるご発展を祈っています。