学術雑誌の行方

一つ前の告知記事で今年の最後にしようと思っていましたが、本日、大晦日、学術雑誌の未来についての論考を掲載します。関連して、来年4月に日本学術会議主催で「危機に瀕する学術情報の現状とその将来 Part 2」というフォーラムが開催される(リンク先はPDF)ことの告知と、過日のSPARC Japanセミナーの報告サイトについてもお知らせします。(東北大学附属図書館としての見解ではなく、個人の一意見です)
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学術雑誌の歴史
学術雑誌の始まりはおよそ17世紀。厳密に言えば最古ではないとのことですが、現在でも続いているのが『ロンドン王立協会紀要(Transaction of Royal Society of London)』という雑誌で、王立協会の事務局長であったHenry Oldenburgという方が始めたのだそうです(詳しくは、赤松幹之博士が「情報管理」に載せた書評「学術雑誌はいかにして始まったのか」(リンク先はPDF)をご参照あれ)。

それまではどうだったかというと、何か新しいことを見出した人が、王立協会宛に「手紙letter」の体裁で発見内容を書いて送っていたのでした。Nature誌に今も残るLetterというスタイルはその名残です。20世紀の終わり頃まで、Science誌の論文も、最後に著者名が付く、手紙っぽいスタイルでした。ともあれ、編集長と数名の査読者による掲載決定というシステムが徐々に整ってきたのでした。

学術雑誌という紙媒体を印刷し、読者宛に郵送するというのは、よく考えるとリスクも伴うベンチャー事業であった訳ですが、1665年にオルデンバーグが開始していなかったら、学術分野はどうなっていたのでしょう? 進化の過程で他の可能性があったのかどうかと同じような感覚を持ちます。

学術雑誌が大きく変わる節目としては、「要旨」が本文の前に移動したり、「材料・方法」が後ろに移されたり(すべてではないですが)、タイトルを読めば何を書かれているのかがわかるようなものになったり(古い論文は「◯◯についての研究」というようなタイトルでした)、20世紀半ば以降のカラー印刷の普及もありましたが(例えば、1953年に創刊されたJournal of Experimental Embryology & Morphologyという雑誌がDevelopmentという名前に変わった1987年はそのタイミングの象徴です)、なんといっても1990年代以降に急速に進んだディジタル化とインターネット化でしょう。逆に言えば、17世紀から20世紀半ばまでの学術雑誌の変化というのは、そんなに大きなものではなかったということになります。本稿ではディジタル化・インターネット化に注目したいと思います。

昔話で恐縮ですが、筆者が学位論文を出した頃は、ちょうど手書きの原稿からワープロ、もしくはPCを用いたテキスト作成への移行期でした。図の作成について、当時はまだ、写真を焼いて(←若い方々には意味不明かも?)台紙に糊で貼り付け、略語を「インスタントレタリング」で入れるという手作業を行い、3部か4部の必要部数、同じものを作成することが必要でした。印刷したテキストやカバーレターとともにそれらの原稿を封筒に入れ、少しでも早く国際郵便を出すために、夜中まで開いている各地の中央郵便局まで抱えて走る、という経験のある研究者は読者の中に多数おられると思います。いったん国際宅急便で送れば、しばらくは穏やかな日々を送ることができます。査読結果が出るまでには、短くて1ヶ月、長ければ3ヶ月以上の時間がかかるのが普通のことでした。査読結果の連絡は、私の駆け出しの頃はFAXで届くのが一般的でした(その前は国際郵便)。

現在では、テキスト作成も図の作成も、すべてPC作業です。楽になった面もありますが、いかにデータをビジュアルに訴求力のあるものにするのかについては、むしろ高度化していると感じます。研究機関によっては、学会発表や論文作成等の支援のためにプロのデザイナーを雇用しているくらいです。そして、投稿に関しては基本的にオンライン化されました。もはや原稿の入った封筒を抱えてドキドキしながら走ることはなくなり、最後に「Submit(投稿)」の1クリックをするだけ(これがいささか拍子抜けだと思うのは、筆者が旧世代に属しているからかもしれません)。

さて一方、論文のスタイルが「より早く内容を読み取れる」ように変わったのと並行して、査読にかかる時間はどんどん短くなり、査読を引き受けると追い立てられるように締切の連絡がメールで届きます。筆者の所属する生命科学分野では、査読期間は2週間が普通で、まぁ、その期間にはできないことも多々ありますが、どんなに長くでも1ヶ月くらいでしょうか。あるいは、商業誌などでは「Editorial kick」と呼ばれる、雑誌編集者による門前払いも、早ければ翌日にメールで知らされます。つまり、投稿した方もゆっくりしていられないのです(このようなIT化に伴うせわしなさは学術分野だけに限ったことではなく、現代社会の抱える慢性ストレスの通奏低音のように思われます)。

学術論文のディジタル化がもたらした変化
ディジタル化によって雑誌のスペース問題が解決されました。2007年のノーベル生理学・医学賞は「ノックアウトマウス作製技術」に関して授与されましたが、その基盤技術の一つとしての胚性幹細胞(ES細胞)の確立に関する黎明期の論文として、1974年にCell誌という雑誌に掲載されたMartin Evans博士のものがあります。この雑誌は、その名称のとおり、当時盛んになりつつ合った生命科学研究の論文を受け入れるために創刊されたものです。最初はマサチューセッツ工科大学(MIT)の出版部から発行されていましたが、その後Cell Pressとなり、現在ではElsevier社の傘下に入っています。

さて、1974年のGail Martin & Martin Evansの論文を改めて眺めると、牧歌的な時代であったことを感じます。一つの図としてまとめられているのはたった2つの写真。全部でFig.10までありますが、現代の生命科学トップジャーナルの基準で言えば、Figureとして2つ分くらいのボリュームしかありません。原著論文にも関わらず著者も2名と少ないです。

これに対して、例えば、最新号のCell誌の論文では、メインの図6つか7つにそれぞれ付随するSupplemental Figuresが同数あり、一つひとつの図はAから始まってHやIまでの図が組み合わさって構成されています(Supplemental Figuresは、印刷される雑誌のページには含まれませんが、オンラインで掲載され、PDFにも含まれます)。つまり、この40年くらいの間に、トップジャーナルに出すための基準が大きく変わりました。ざっくり10倍程のデータの厚みが必要となったのです。当然、一人の研究者でこなせる量ではなく、著者の数は5名でも少ないくらい。複数の研究室の共同研究により10名を超える著者となることも珍しくありません。

論文作成のディジタル化は、テキストや図の作成を容易にしましたが、これはまた一方で、論文不正が生じる環境的条件ともなりました。本稿ではこの点については論じませんが、興味のある方は筆者が1章担当した『責任ある研究のための発表倫理を考える (高等教育ライブラリ)』(東北大学出版会)をご覧下さい。

研究競争の激化とインパクト・ファクター
技術的な基盤としてのディジタル化・インターネット化がもたらしたものの一つとしてインパクト・ファクター(IF)という評価指標についても触れる必要があるでしょう。Eugene Garfieldという方が20世紀半ばに考案したIFは、1975年から使われ始めました。Journal Citation Reportsというデータベースに収録される自然科学、社会科学分野の約11,000誌それぞれに含まれる論文数と被引用数から算出されるIFは、本来、その雑誌の平均的な論文の引用数を示すものであり、一つひとつの論文の価値を示すものではありません。また、引用数はその分野の研究者人口に左右されるだけでなく、引用が批判的に為されたものか建設的なものかをデータ分析ツールは判断できないという限界もあります。にもかかわらず、とくに生命科学業界では高いIFのもの(例えば前述のCell誌なら2017年の指標で31.398)から、IFが付かないくらい、誰にも引用されない論文ばかり掲載される雑誌もあります(ハゲタカジャーナルとの関連については後述)。種々の問題があると知りつつも、数字はわかりやすいので、研究者は自分が出す論文が掲載される雑誌のIFに敏感です。

IFが広がった背景には、学術誌の商業化が大きく作用しています。学術雑誌には、ざっくり2つに分ければ歴史的に古い「学会誌」の系統と、Nature誌やCell誌のような「商業誌」があります。それぞれの学術分野の研究者の集まりである学会の持つオフィシャルジャーナル、つまり学会誌は、例えば、英国発生生物学会はDevelopmentという雑誌を発行しており、NPO法人のCompany of Biologistsというところから刊行されています。冒頭のTransaction of Royal Society of Londonや米国のProceedings of National Academy of Scienceなどのような科学アカデミーが発行する総合雑誌も、学会誌の仲間と言えるでしょう。このような学会誌のEditor-in-Chief(編集長)は学会員から選ばれ編集委員会が組織されています。かたや商業誌の場合には、編集長は専任の方で、出版社に所属しています。ややこしいのは、学会誌と言えども、例えば筆者が現在、副会長を務める日本神経科学学会のオフィシャルジャーナルであるNeuroscience Researchという雑誌は、現在、Cell誌も傘下に収める巨大企業Elsevier社から発行されています。

IFが普及する以前からも、雑誌の「格」はありました。科学の週刊誌として始まったNature誌は、70年代にはすでに「Natureに論文が出ました」と言えば研究者仲間から「おめでとう!」と言ってもらえる雑誌でした。でも、それは現在のNature誌のIF値41.577と、生命科学系の学会誌の一つ、Rockefeller University Pressが発行するJournal of Cell BiologyのIF値8.784との格差ほどの違いは無かったように思います。きちんとした学会誌に論文発表を重ねていくということが良識のある研究者のライフスタイルでした。ところが、研究者人口が増え、分野が細分化されて深化し、自分のよく知る分野以外の研究成果の評価が難しくなると、一つのわかりやすい物差しとしてのIF値が利用されるようになったのです。つまり、植物学分野で「Plant Cell誌(IF値8.288)に発表されている論文なら、きっと信用できる成果に違いない」というように、論文の中身ではなく雑誌のIF値が独り歩きするようになってしまいました。

さらに、生命科学業界の競争激化は、「インパクトのある成果」とは「論文が高IF値の雑誌に掲載される」ことと同義になりつつあるという状況を招いています。これが研究室主宰者にとっては大型研究費の獲得に関係し、若い研究者にとっては次のポストに進めるかどうかに関わるのです。このような状況が研究不正を生む土壌にもなっていますが、やはり本稿では割愛します(『責任ある研究のための発表倫理を考える (高等教育ライブラリ)』(東北大学出版会)参照)。

学術雑誌のオープンアクセス化
さらに学術誌を取り巻く環境として、とくに2000年以降、インターネットの普及とともに急速に広まったオンライン化について取り上げる必要があります。電子化されてオンライン掲載される雑誌は「電子ジャーナル」とも呼ばれますが、その草分けとして、Journal of Biological Chemistryという雑誌があります。これはAmerican Society for Biochemistry & Molecular Biologyという学会のオフシャルジャーナルなのですが、1994年にStanford Universityの図書館のサーバに登録されました。その後、ブラウザ上ではHTML形式で、さらに印刷しやすいPDF版もダウンロードできるという現在の形式が整ってきました。「論文は紙でないと……」という方もおられますが、PDFをモニタ上で拡大できるというのは筆者にとっては有り難いです。Dropboxに入れておいて、どこにいてもiPadなどで閲覧することも可能となりました。コピーした論文を擦り切れるまで読んだのは、遠い昔となった感があります……。

ジャーナルの電子化の最大のメリットは、冊子体に載せることができなかった顕微鏡画像の動画データなどの掲載が可能となったことだと思います。また、互いの論文がどのように引用されているのかについても把握が容易になりました(このことが引用数をもとにした雑誌のIFに繋がっています)。さらに、図書館に行かなくても、いつでもどこでもネットに繋がっていれば電子ジャーナル情報にアクセスできるようになりました。

ここで昔話を披露しますが、1980年代頃にいっとき流行したCurrent Contents(カレコン)という週刊誌のことをご存知な方は少ないかもしれません。これは当時の主要な医学生物学分野の雑誌、数百タイトルについて、最新号の論文を網羅したもので、著者目次やざっくりとしたキーワード検索が可能でした。読者はいち早く興味深い論文に目をつけ、その論文の「別刷り請求」を国際郵便葉書で送り、著者は論文の印刷体であるreprintを自分の費用でリクエストをしてくれた研究者に送ったのでした(…遠い目)。それが、今や需要はPubMedやWeb of ScienceやGoogle Scholar等の検索分析サイトに取って代わるようになったのは、雑誌の電子化の恩恵です。

学術雑誌の出版を手がける大きな出版社は、次々と学術雑誌の電子化を進めました。紙媒体の雑誌の購読とともに、電子ジャーナルを閲覧できる権利として購読料が位置付けられるようになったのです。当初、雑誌の電子化は「智を広める」ことに役立つと考えられました。紙媒体の雑誌を購入するよりも電子ジャーナルは安価であったからです。大手出版社は電子ジャーナルのタイトルを多数集めて「パッケージ化」を推進しました。J Stageに掲載された倉田敬子教授の論考によれば、現在、「全世界の雑誌のディレクトリであるUlrichWebが収録しているもので約37,000タイトル存在」し、「日本の大学図書館が提供している電子ジャーナルタイトル数は,国立大学図書館全体で一館当たり平均すると約8,600タイトル」に上るとのこと。そしてこのように、電子ジャーナルの利用が広がり研究者の日常に不可欠なものとなってから、出版社は徐々に電子ジャーナルの購読価格を上げ始めたのです。

現在、国立大学法人に文部科学省から配分される運営費交付金は、毎年1.6%ずつ減少しているため、電子ジャーナルの価格上昇は大学予算に大きな影響を与えることになります。結果として、2017年に発表された国立大学協会の調査結果「国立大学における学術情報の状況及び課題に関するアンケートについて」によれば、2014年から2016年の間に受け入れタイトル数を減らした大学が86大学中78大学に上ることになりました。必要な学術情報にアクセスするのに困難を感じている構成員がいるという回答をした大学は40大学もあります。同様の状況は公立大学、私立大学でもあると想像されます。

商業誌はさらに営利を得るための手段として論文掲載料(Article Processing Charge, APC)に目をつけました。この背景として先に、雑誌のオープンアクセス(OA)を推進する非営利団体ができたことを先に説明する必要があるでしょう。生命科学分野では、その最初はPublic Library of Science(PLoS)というNPOがPLoS Biologyというタイトルを設立したのが2003年10月のことでした。この電子ジャーナルは、人類が智を共有するための手段として、論文を発表する研究者がAPCを支払うことによって成り立っており、図書館は購読料を支払うことなく、研究者はOA論文を掲載することができ、読者は論文にアクセスすることが可能となる訳です。つまり、営利目的ではなく、皆がwin-winになることを目指している訳です。

PLoSのこのコンセプトは好意的に受け入れられ、2005年時点のPLoS BiologyのIFは14.672となりました。遅れて、やや軽めの論文を掲載できる雑誌としてPLoS ONEというタイトルが創刊されたのが2006年12月。2010年のIFが4.441でした。査読プロセスの間に査読者と意見が異なると論文がリジェクトされるということがありますが、PLoS ONEでは、得られたデータが科学的に正しい手順を踏んでいれば、基本的に掲載可能という方針を強く打ち出している点に特徴があります。

これに大手出版社が目をつけました。Nature誌は、OAの姉妹誌として2010年よりNature Communicationという総合誌を創刊しましたが、さらに2011年からScientific Reportsというタイトルを創刊しました。こちらは現在、IFのスコアとしてPLoS ONEを抜いており(4.122)、実は日本でもっとも論文数の多い電子ジャーナルとなっています。APCはSci Repの方が若干高いのですが、IF値に引きずられる研究者が多いということでしょうか……。興味深いのは、過日行われたOAについてのセミナーSPRAC JapanにおいてMax Planck Digital Library(MPDL)の館長Ralf Shimmer博士の方の発表資料(PDF)によれば、マックス・プランクにおいてもっとも論文掲載が多いタイトルがSci RepではなくPLoS ONEとなっている点です。欧州の文化や良心としての商業誌への抵抗が現れているように感じます。

さて、さらにOA誌に目をつけたのがいわゆる「ハゲタカジャーナルpredatory journal」です。筆者のところにも毎日、「うちの雑誌に投稿しませんか?」という見知らぬメールが届きます。内容を確認して迷惑メール扱いにするのですが、それでも次々と違う雑誌から届くので、いったい世界中でどのくらい新たにできているのかわかりません。こちらは、OAなのは良いとして、その出版プロセスに問題があり、きちんとした査読を受けずに掲載されるため、内容がアカデミアでほとんど担保されていない点が大きな問題です。研究環境が厳しくなり、「どんな雑誌でも良いので、DOIの付く雑誌であれば出したい。OAであるからといって、実際には誰も読まないんだし……」というような心境なのでしょうか……。ハゲタカジャーナルについては、例えば「日本の科学と技術」という個人ブログの記事を参照下さい。

ただしここで思い起こして頂きたい重要な点は、どんなに査読の厳しい雑誌に掲載されたからといって「真実」といえる段階ではないという点です。研究業界以外の方には理解して頂くことが難しいかもしれないのですが、peer reviewというプロセスはいわば、たった2名〜4名くらいの専門家が了解したという意味であり、その後、多くの読者が実験の再現性を確かめたりすることにより、その発表内容が科学的に強固なものになっていくか、「あの論文はちょっと違うようだ」という評判になるのかが分かれていくのです。いわば、本当の意味での研究の価値は、論文が出されてからの時間の流れの中で取捨選択されていくのでしょう。

しかしながら、ハイインパクトな雑誌に掲載されることが次の研究費やポジションに繋がるという現代は、なんとかして例えばNature誌に掲載したいという研究不正の動機を与えることにもなってしまっています。

このような混沌とした状況の中、科学者の良心に基づく活動として、「プレプリント・サーバ」の活用が注目されています。こちらは、査読を経る前の原稿をインターネット上に公開する仕組みで、物理学系のarXivというタイトル(といって良いのか)が最初でした。実際には1991年から運用されています。2013年に生命科学系でBioRxivというプレプリント・サーバが開始され、現在、PLoS Biologyや欧州の学会誌EMBO Jでは、BioRxivに公開された原稿をそのままオンライン投稿版とすることが容易なシステムも用意しています。

我が国においてOA2020は実現するか?
上記のMPDL等は現在、世界的にオープンアクセスの推進のためにOA2020という活動を展開しています。徐々にハイブリッドジャーナルのAPCと購読料の二重支払いを止めて、APCのみでいこうという作戦です。シマー館長の資料を見て頂くとわかりますが、Full OA誌では平均$1600、ハイブリッド誌では$2900かかっており、この値は、購読料ベースで計算した1論文あたりのコスト(€3800)より安いからです。今月20日に大手出版社であるエルゼビア社との契約を行わない方針を発表し、契約は本日大晦日をもって終了となる予定です。

すでに2013年にG8科学大臣会合で合意されたオープンアクセス拡大方針ですが、我が国でどのように学術情報へのアクセスを確保していくのか、その費用対効果等を含めて喫緊の取り組みが求められています。これまでに、大手雑誌社との交渉に際しては、大学図書館コンソーシアム(JUSTICE)が中心となって対応し、冒頭で紹介したように、SPARC Japanセミナーのシリーズなどの情報交換・啓発活動を行って来ましたが、我が国のアカデミアの取りまとめ機関である日本学術会議も2016年7月6日の時点で「オープンイノベーションに資するオープンサイエンスのあり方に関する提言」(PDF)をすでに公開し、2017年5月18日に「危機に瀕する学術情報の現状とその将来」というフォーラムを開催しました(リンク先はPDF)。そのPart2となるフォーラムが、2019年4月19日に日本学術会議において開催される(リンク先はPDF)予定です。来年はオープンアクセスについての節目となる年になるかもしれません。

【関連拙ブログ】

【追記(1/4)】
上記の他に我が国の学術雑誌に関する問題としては、小さな、インパクトの少ない学会誌系の学術誌が多く、IF値で言えば損をしているということがあります。生命科学連合に所属する生命科学系の雑誌を全部合わせればインパクトを上げられるように思います。中国では、Cell Researchという雑誌が1990年に創刊され、現在のIFは15.606となっています。日本人研究者コミュニティに「新しい統合的な雑誌を作れば良いのでは?」と申し上げても聞き入れられず、かといって、そういう方々が御自分が積極的に日本の学会誌に出しているかというとそうでもなく、さらに良くないのは、そういう雑誌に出した論文を戦略的に引用しないという点があると思います。

このことについては、すでに拙ブログで取り上げていました(このときのCell ResearchのIFが11.981で、それから1年ほどでさらにIFが4も上がったということに愕然としています・・・)。


by osumi1128 | 2018-12-31 13:37 | オピニオン

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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