過日の浜松出張の折、
『ハイパーワールド 共感しあう自閉症アバターたち』(NTT出版)の続編ともいえる、
池上英子先生の
『自閉症という知性』(NHK出版新書)を読了。
『ハイパーワールド』を読んで著者にどうしても会いたくなり、出張でニューヨークを訪れた際にカフェでお目にかかったのが2017年の10月。自閉スペクトラム症(ここでは省略して自閉症としておきます)を「個性」と捉える点で意気投合しました。下記の写真は、カフェの後、ご主人のピートさんと、および同じく
YHouseというサイエンスカフェ的な催しの打合せをされた研究者の方(お名前失念!)と合流したときの記念写真。

さて、本書『自閉症という知性』は、さらにその後、日本の自閉症当事者の方への取材に基づく内容も合わせて、新書として手に取りやすい形となっています。ただし、「新書」という形態であるためにやむを得ないところがあるのですが、単行本である前著にある多数の引用文献が、本書には含まれないのが残念……。ぜひ、セットで読まれることをお勧めします。
自閉症は、1943年に米国のレオ・カナーによって報告され、言葉の遅れや「自閉的」な社会性の障害を有する症状が一つのプロトタイプとみなされてきましたが、一方で独立に、オーストリアのハンス・アスペルガーが比較的、高機能な子どもについての詳細な記録を残し、様態の広がりがあることが特徴です。
自閉症の方は感覚過敏が強かったり、コミュニケーションのとり方がニューロティピカル(NT)の方と異なるために、NTがマジョリティである社会での生きづらさがあることが知られています。一方で、NTの方とは異なる認知様式は、いろいろな創造性の源ともなっている可能性についての指摘は、エッシャー、ダリ、ウォホールなどのアーティストの例として本書でも取り上げられています。
米国よりも日本では同調圧力が強いことによって、多数派と異なる個性を持つ方がより生活しにくい側面もあるのかもしれないと感じました。
本書の中で「I am autistic」という捉え方と、「I am a person with autism」という捉え方の違いについて言及されている点が興味深いと思いました。前者では、自分の個性全体として「自閉症的」と捉えるのに対して、後者ではあたかも「がん」のように取り除く対象のように扱われるので、徐々に前者のような考え方の方が増えているとのこと。池上先生は「自閉圏」という言葉を使っておられます。
「自閉圏の人々の知性のあり方を単に医療・福祉の次元のみで考えること」について池上先生は問題提起し、「それぞれに個性的で内面に豊かな世界を抱えている人々」がいることを知ることによって、よりインクルーシブな社会になるべきと考えておられます。
本書が多数の方々に読まれることを願っています。
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池上先生が実際に<自閉症アバター>の本人に会いに行く研究旅行に同行したNHKディレクターによる番組が2017年の9月に放送されましたが、関連したウェブ記事が公開されていました。本書の内容の一部を反映していますので、ご参考まで。(注:登場人物の名前の標記が書籍と異なっています)
【参考サイト】