東京大学の入学式が4月12日に行われ、来賓として東京大学名誉教授の上野千鶴子先生が読まれた祝辞が大いに話題になっている(本日の時点でも)。医学部入試不正問題を皮切りに、東京大学の本年の女子入学生が昨年より減って18.1%となったこと、東大生の過去の性的暴行事件などが取り上げられ、会場にいた「祝われるべき立場」の約3000人の新入生とその関係の方々は驚かれたことだろう。祝辞の最中からすでに怒りや嘆きのツイートが出回り、
祝辞の全文テキストはすぐに東京大学のHPに掲載されたため、それはSNSを通じてさらに拡散し賛否両論の議論が巻き起こった。それにより、入学式の現場にいなかった方の中にも、辛い過去を思い出したり、「放っておいて欲しい」と感じた方がいる。
この祝辞の素晴らしい部分は後半なので、そこから引用しておく。
……私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。……今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
(中略)
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。……
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
(中略)
……大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
ちょうど一回りの年齢差があり、社会学と生物学という学問の歴史や手法の違いもあって、ジェンダー学対生物学の議論は噛み合わなかった、という不満がそのブログに書かれている。かたや女性学を背負って立つ著名な研究者から見て、教授になってまだ10年にもなっていない無名の生物学者が、学術会議の男女共同参画委員会委員としてフロアから発言したとしても、傾聴には値しないと思われたかもしれない。あるいは、分野外の方と議論する自分の経験値が足りなかったことも十分ありえる。
そこから約13年経って拙ブログを読み返してみると、自分が若くて目上の先生にも噛み付くタイプであったことを再認識させられ、汗顔の至りであるとともに、実は、このとき「ジェンダー生物学とジェンダー学」の研究者がともに熱く議論した甲斐もなく、日本の社会のジェンダー差別は解消しなかった、ということに思い至り愕然としている。そして、このタイミングに、東京大学の入学式というインパクトのある舞台で、祝辞という形でアジテートされた上野先生の戦略には脱帽する(ただし「脱帽」は女性が使うのに適した言葉ではないかもしれない)。
その頃、ちょうど2006年より科学技術振興調整費(当時)による自然科学系の女性研究者支援の施策が開始されたところだった。私たち理系女性研究者は、いわば「思想よりも支援」という現実路線に舵を切って、研究要員やベビーシッター経費の補助などの研究環境の改善、次世代女性研究者の増加を目指した活動(例えば東北大学サイエンス・エンジェル制度など)を行ってきたのだ。女性研究者の割合は、毎年、約0.5%前後増加し、2018年時点での女性研究者の割合が15.7%となった。
だが、
直近のジェンダーギャップ指数は110/149位(前年の144か国中114位よりはマシ)。冒頭でも述べた医学部入試時の女性差別は、気づいている方もいたであろうが、解消されることはなかった。上野先生の祝辞の中に含まれなかったこととして、夫婦別姓の問題や、性犯罪者に対する司法界の甘さなどもあり、これらは複雑に絡み合って、女性が社会で活躍することを阻む背景となっている。
では今、何をすべきか?
現場の若い方々はそれぞれ、自分を信じて諦めないで欲しい。辛いときには声を出していい。不正があれば不正だと言っていい。
施策に関しては、これまでの「思想よりも支援」というポリシーは再検討が必要だ。何より「直接的な支援」にはお金がかかりすぎる。女性教員を増やすためだけに人件費を使う訳にはいかないし、女性の労働時間が家事・育児で少ない部分を支援要員で補うことにも限界がある。そもそも、日本では家事・育児におけるジェンダーギャップが著しいことが、女性の能力が十分に活用できていないことに繋がっている。(図は2017年に行われた東北大学研究環境アンケート結果より。4592名回答)
ただし、支援が必要ではないという意味ではない。研究活動を通じて高等教育を行う大学や大学院において、どのようにダイバーシティを推進すべきかを専門に考え、実務を行う人材は必須であり、むしろ増やしていかなければならない。グッドプラクティスを再度、ダイバーシティの面で進んでいる企業などから含め、国内外から学ぶ必要がある。初等中等教育でのキャリア教育などにも介入することが大事だろう。そして何より、文系理系のギャップを解消することも有効策かもしれない。
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