中根千枝先生の言う日本の「タテ社会」は今後どうなっていくのか?

「中根千枝といえば<タテ社会>」というくらいの知識はあったが、元日本学術会議会長の黒川清先生が勧める書籍(2017年版)の中に、中根千枝先生の『タテ社会の人間関係ー単一社会の理論』(講談社現代新書)『タテ社会の力学』(講談社学術文庫)があり、ようやく読む時間が取れた。
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1926年(大正15年)に生まれ、1970年に女性として初めて東京大学の教授になられたという、今年92歳となられる社会人類科学者が、それぞれ1967年と1978年に著された書籍なのだが、これらは海外からも「日本論の古典」とみなされているという。

「タテ社会」は、下記の図(『タテ社会の人間関係』の第1図)の「X」として表されるユニットを基本とし、さらに図3のように階層構造を作っていく。
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ここで重要な点は、同じ階層の「ヨコ」のつながりよりも、「タテ」の方が強いという点である(図1の「Y」のような「底辺」に相当する関係性が無い)。

日本以外、同じアジアでも中国、東南アジア、あるいは西欧などでは下の図2の「Y」のような「ネットワーク構造」を取る組織が多い。このような組織における「リーダー」は、圧倒的な力の差が無くてもよく、複数の小集団から成る大集団であったとしても、そのタイミングで相対的に力の強い小集団の中で、相対的にリーダー的な立場にある者(例えば年長者であったり、その組織に長く所属する人)がリーダーになる傾向があるという。
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上記の第2図の「Y」には例えば「a-d」「a-e」のような関係性は明示されていないが、実際にはネットワーク組織ではそのような関係性がある。そのため、組織が機能するためには明確な「ルール」が必要となる(図4)。

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日本の人間関係の構造は、均質な性質を持った(とみなされる)構成員から成る「小さなユニット」の中での、比較的単純な関係性によって成り立っていることにより、いわば「忖度」することにより(中根先生の書籍の中にはこの用語は出てこないが、ぴったりの言葉だろう)、明確なルール(例えば、究極には「憲法」であったり「法律」のような原理原則)が無くても、社会が維持されるという。

数年後に書かれた『タテ社会の力学』の方では、このような日本型「タテ社会」の「動的な調整力」について考察されており、日本型社会が「軟体動物」のようなものであると捉えられていた。ヒトデの足のような階層性のある組織が複数あるとして(ヒトデは生物学的分類としては軟体動物ではないのだが……)、全体としてどの方向に向かうのかは、それぞれの足の動きの様子が口の周囲にある中枢組織である「神経環」のところに届いて、調整されるようなものだという。

『タテ社会の力学』が最初に書かれた頃は、日本がいかにして戦後復興と経済成長を遂げたのか、という観点から日本型組織の特色に着目された訳であるが、中根先生が2009年の文庫版の「あとがき」で触れておられるように、「30年経っても理論として改訂したい部分が無かった」というくらい、日本の社会構造には変化が見られなかったという点は、さらにそこから10年の月日が流れた今日、嚙みしめるに値する。

例えば、日本における「合意形成」では、「小集団」の中での曖昧な合意や、集団同士の馴染み合いに基づいて為されることや、必ずしも「責任を明確にしえないメカニズム」などが、すべてこのような「タテ社会」という組織構造によって決まってくるという理解は、改めて目から鱗が落ちる気持ちがした。

また、日本的な「単身赴任制度」が成り立つのは、職場の小さな「タテ社会」ユニットが、「家族」の機能を代替していることに依るという考察も慧眼と思う。明確に書かれていなかったが、大きな会社や官庁等で、キャリア組が数年ごとに部署を移り変わるのも、基盤となる社会構造が「タテユニット」であるからなのだろう。また、こうしたキャリア組自体は、比較的大きなネットワーク構造を有し(医師会なども同様の組織)、その維持のために必要な情報交換を密にするということも納得であった。

ちなみに『タテ社会の力学』の最後の「付記2」では、1977年に動物行動学の日高敏隆先生と行った対談が収録されており、その中で「タテ社会」のナンバー・ワンが天皇であることが触れられている。「タテ社会」は個人の均質性が求められるが、日本の場合、「奈良朝ができる前に相当な文化の単一性ができてしまっている(本書より)」という。

この2冊の書籍が書かれた1960年代後半から70年代という時期は、おそらく日本でもっとも「中流意識」が強かった時代であろう。取り上げられていたエピソードが面白い。

港区の麻布笄(こうがい)町のお屋敷街で「あなたの家は、社会階層のどのランクだと考えますか?」という質問に対して、返答はほとんど「中流の中。上流階級は元華族のような人たち」。麻布の商店街で同じ質問をすると「自分たちは中の中。上流階級は笄町のお屋敷に住んでいるような人たち」という答え。これが、下町の江東区で訊くと「私たちは中の中。上流は港区に住んでいる人」となる。

それぞれが所属する階層の中や近接する階層等の、身近な「上下関係」に意識が向いているという反映であろう。(なので、中根先生は「90%が中流意識を持っている」というアンケート結果の意味はよく考えるべきとのご意見)。

さて、文庫版の『タテ社会の力学』が出版されてから後の10年の間、私は実際には日本の社会構造が変化しつつあるのではないかと考える。それは、戦前に生まれた世代の方にはあまりピンとこないかもしれないが、20年前に日本に導入されたインターネットの本格化(2020年東京オリンピック開催もその後押しとなっている)、個人それぞれが(家電ではなく)携帯電話という情報端末を有すること、結果として若い世代にとって情報の入手先がマスメディアからSNSに移行していること、少子高齢化、労働人口減少と、それを補う労働力と国内需要を補うインバウンドを期待してのグローバル化の流れなどが、どのように日本の「タテ社会」を変えつつあるのか、中根先生に続くような広く深い分析を社会学者にして頂きたいと思う。

文化は簡単には変わらないものであるから、もちろん社会構造自体、変わっていない側面も大きい。拙ブログで繰り返し取り上げているが、女性の社会参画などは、びっくるするくらいに進んでいない。LINEで繋がっている子どもたちの中でも、大人と同じような「タテ社会」のユニットが存在しているだろう。社会環境の変化にも関わらず昭和の時代のやり方が踏襲され、「これまでと同様に・みなと同じようにしていたのに、なぜ問題になるのか?」というような事例には事欠かない。

一方で、日本の人々が「格差」を意識するようになってきたことは事実としてあり、非正規社員の増加、家族構成の中心が「核家族」からさらに「単身家族」に移行しつつある点や、コスト削減のためのテレワークの推進なども心配な面がある。日本型の「タテ社会」では、小集団の中での「甘え」が許されるという意味で、職場等のストレスに対するセイフティネットとしての役割も果たしてきたのだ。

「個人」として大きな組織に属することがこれまで一般的でなかった日本において、「タテ社会」の基本単位から外れた方がどのように社会の構成員として参画していくのかを考える必要があるだろう。

【関連リンク】

by osumi1128 | 2019-05-03 17:57 | 書評 | Comments(0)

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