元神奈川県民として気になる若手政治家である小泉進次郎氏が、5月3日、自身が務めた米国の民間シンクタンク戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies, CSIS)に乗り込んで30分に及ぶスピーチをした。
日頃、政治家の英語スピーチを聴く機会は多いとは言えないが、この進次郎氏のスピーチは新鮮な驚きだった。こんな政治家がいるのか!
拙ブログでは政治の話はしないつもりなので、その内容に踏み込むことはしないが、ここではなぜ私がこのスピーチを素晴らしいと思ったのかと、日本における英語教育について思うことを記す。
進次郎氏は関東学院大学を卒業後、ニューヨークのコロンビア大学に留学し政治学の修士号を得たあとに、CSISに1年奉職した。つまり英語漬けの生活としては、23歳からの3年間だ。
したがって、進次郎氏の英語は、決してバイリンガルレベルではない。
だが、彼のスピーチには伝えるべき「内容」があり、伝えたい「思い」があった。さらに言えば、目の前の多様な聴衆の笑いを取れるユーモアや、これまでの政治家としての活動で培ったであろう多数の聴衆の前で臆さず話せる自信があった。
比較するのは恐れ多いが、今は上皇さまとなられた前の天皇陛下の英語でのスピーチを日本国際賞の授賞式や祝宴などで拝聴する機会があり、大事なことは、一見、流暢に聞こえる英語を話すことではなく、中身なのだと感じたことを思い出した。
2020年より小学校英語が正式に教科として教えられるようになる。この教育ではどのレベルを目指そうとしているのだろうか?
確かに脳科学的には「臨界期」があるので、「より小さいときから教えた方が語学は身につく」というのは、ネイティブな発音を聞き取ったり話せるために大事なポイントかもしれない。
だが、学校の教科として学ぶ程度の時間では、自然に英語に接するというネイティブな環境からは程遠い。
「文法を教えるから英語が嫌いになる」という説があるが、筆者は「外国語」として学ぶには「ルール(文法)」を覚えた方が無限の応用が効くという意味で重要であると考える。これは、言語学者の鳥飼玖美子先生なども同様のご意見である(リンク記事参照)。
母語をきちんと学ぶこと(書くこと含め)の上に外国語教育があると思う。(注:これは、環境によってバイリンガルとして育つことを否定するものではない。彼らは2つの母語を持つと考えられる。ただし、社会人のスキルとしてはライティングが必須なので、2つの母語を同じレベルで書けるようになるのには、かなりの努力が必要であろう。)
何より大事なのは「教科」だから学ぶということではなく、「世界の中には日本語を話せない人々がいる。英語を使えば意思疎通が可能な人がたくさん増える」という背景と、「自分の意見を相手に伝わるように話すことがコミュニケーションの基本」であるという原則なのではないだろうか。
スピーチの中でも触れられていたが、進次郎氏は横須賀で育ち、米軍基地は身近な存在であり、その太平洋を超えた先には常に米国があった。筆者も高校時代まで隣の逗子に住んでいたので(かつては同じ神奈川2区)、横浜が国際港であったことなど含め、雰囲気はよくわかる。また、父である小泉純一郎氏からも「外から日本を見なさい」と教えられたという。そういう必然性やモチベーションが無ければ、単に「教科」として英語を教えたからといって、日本の国際化が進むとは言えない。
外国人労働者の参入も増えている現代において、その子どもたちが小学校、中学校で排除されないという観点も、英語教育の中に盛り込まれると良いと願う。
最後に、中身そのものについては考察しないが(とはいえ、追って個別に論じる論点はあるかもしれない)、進次郎氏が改元という絶好のタイミングで「日本は変わる」「日本の少子高齢化はチャンスでもある」というポジティブなメッセージを発したことは重要だ。また、自身の経験ももとに「若い世代の海外留学、国際社会で切磋琢磨する経験」を大事にしている姿勢も、アカデミアの人間として高く評価したい。
【参考リンク】
5月3日のCSISでのイベントを、すぐにアップしているのは進次郎氏のチームの発信力やスキルの高さを感じますね。
進次郎氏の感想とともに、種々の情報がまとまっていますが、以下に直リンクも付けておきます。