そろそろ第6期の科学技術基本計画策定についての議論が始まり、自分の立ち位置として「文理の壁を無くす」ということが頭にあり、そんなときに科学史を専門とする名古屋大学大学院経済学研究科教授の隠岐さや香氏の
『文系と理系はなぜ分かれたのか』に出会った。発行は2018年の8月で、私の手元にあるものは第5刷となっている。
そもそも、この「
星海社新書」という新書を手にしたのが初めて。初代編集長、柿内芳文氏の「次世代による次世代のための武器としての教養 星海社新書」という煽る文章の最後には、下記のようにある。
星海社新書の目的は、戦うことを選んだ次世代の仲間たちに「武器としての教養」をくばることです。知的好奇心を満たすだけでなく、自らの力で切り開いていくための”武器”としても使える知のかたちを、シリーズとしてまとめていきたいと思います。
確かに、「知は力」であり、「知識は人を自由にする」ものだと同意する。書籍の売上げが伸びない現代において、20代、30代をターゲットに新たに出版社を立ち上げたことに敬意を評したい。
本書はすでに黄色い帯にあるように、「新聞等各紙誌で絶賛、東大生協駒場書籍部、2018年8月・9月新書売上げランキング第1位、2019新書大賞第2位」というベストセラーであり、いまさら書評というのも気が引けるので、自分にとっての備忘録として気づいたことを残しておきたい。
本書の構成として各章のタイトルを記す。
第1章 文系と理系はいつどのように分かれたか? ー欧米諸国の場合
第2章 日本の近代化と文系・理系
第3章 産業界と文系・理系
第4章 ジェンダーと文系・理系
第5章 研究の「学際化」と文系・理系
第1章、第2章は、いわば歴史の振り返り部分であり、むしろ「文系」が後からできた学問分野であることを再認識した。日本の歴史では、江戸の終わりから明治期に、近代化の流れの中で「実学」や「窮理」が重んじられつつも、文官が技官を支配する仕組みが出来上がっていったというのが興味深い。
ちなみに、筆者の所属する
東北大学は1907年に日本で3番めの帝国大学として誕生したが、開学の理念として、「研究第一」「門戸開放」とともに「実学尊重」という言葉が残されている。この「実学」は、当時の感覚では「役に立つ」という意味よりも、「形而上的ではない」というようなニュアンスであったことを、本書を読みながら再確認した。実際、東北大学はまず理学校(理学部に相当)を第一として設立され、1922年にアインシュタインが、1937年にボーアが来学したことからも、理学の研究が充実していたことが窺える。
「
星海社新書」としての訴求効果に繋がるのは、第3章「産業界と文系・理系」のあたりだろうか。この章はアカデミック・キャピタリズムがひたひたと進行する現代社会において、「儲かる理工系」という思想が生まれてきたことなどの振り返りが興味深かった。博士人材の活用がまだまだ上手く行っていない日本は「低学歴社会」であると思う。
さて、私としてはやはり「ジェンダーと文系・理系」の章を興味を持って読んだ。そもそも本書を知るきっかけは、筆者の隠岐氏がツイッターで、この章を書く上で、拙翻訳書
『なぜ理系に進む女性は少ないのか?』(西村書店)を参照したと発言していたからだ。実際、本章末の参考文献には、この本のどこに出典があるのか、逐一、引用して頂いている。多くの新書が参考文献の部分を割愛する傾向がある中で、本書は参考文献の細やかさという意味で、新書の中で群を抜いているといえる。
第5章の「研究の<学際化>と文系・理系」とも関わるが、イノベーションを進める上で、人的多様性が重要であることは言うまでもない。これは何も最近になって言われるようになったことではなく、塩野七生先生の『ローマ人の物語』や『ギリシア人の物語』にも取り上げられていることだ。ローマ帝国の繁栄は、征服した国や土地の人々を大いに活用したからであり、ポリス国家の中では純血主義のスパルタが、だんだんジリ貧になった。
近代から現代へと時代が移る間に、教育の機会が増え、高等教育の恩恵に被る人の数は増加した。科学技術の発展だけでは解決できない問題も山積している。研究の「学際化」は、単なるキャッチコピーではない。筆者が代表を務める新学術領域「
多様な<個性>を創発する脳システムの統合的理解」では、人文社会系、生物系、理工系の研究者が集まって、「個性」の科学的な理解を進めようとしている。
学問自体が「生き物」のようなものだ。それぞれの学問領域が細分化され、深化していきつつ、自律的に融合したり、分裂したりすることが繰り返される。冒頭に「文理の壁を無くす」と書いたものの、実際には学問として文系・理系が統一されるということには、おそらくならないと筆者も思う。ただ、日本の大学入試制度や、その後の大学教育において、大きく「文系・理系」を分けていることは、時代のニーズに合っていないだろう。
本書を20代、30代だけのものにしてはもったいない。産学官民、どんな分野の方でも一読しておくと、文理融合研究や、市民参加型の研究などを推進する上で役に立つだろう。唯一の不満は……電子化されていないことです。出版社さん、なんとかなりませんか???
【参考サイト】