『小説 ブラック・ジャック』から考える近未来の医療

7月に上梓された瀬名秀明さんの新刊『小説ブラック・ジャック』(APeS Novels)をご恵贈頂いていたのだが、種々、取り混んでいて夏休みまでお預け。昨日、読了してすぐに感想を書きたくなった。
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本書は、週刊少年チャンピオンに連載されていた手塚治虫の『ブラック・ジャック(B・J)』をノベライズしたもの。ノベライズといっても、原作の漫画そのものを小説にしたのではなく、1970年代後半から30年後のB・Jなら、どんなスゴ技を見せてくれるか想像力・創造力を駆使し、新たに5つのストーリーとして書き下ろしている。とはいえ、B・Jやピノコの独特の台詞はそのまま、登場人物は過去のストーリーにヒントを得たもの。今こそ、すべての手塚治虫ファン、B・Jファンに告ぐ! 読むべし。

おそらく、手塚治虫ファンの視点からの書評はたくさん出てくると思うので、ここでは、拙ブログ主の専門を活かし、たぶんあまり出てこないと思われるポイントを残しておこう。

取り上げたいのは第2話「命の贈りもの」。『W3(ワンダースリー)』と『ガラスの城の記録』に出てくる登場人物を下敷きとしている。「進行性骨化性線維異形成症」という希少難病の少年が、その後の医療の進歩に賭けて、20年前に「人工冬眠状態」となっていたところ、iPS細胞の登場により、少年の兄が研究者としてその遺伝子治療法を見つけ、弟を冬眠から起こしてもらう手術をB・Jに依頼する、という内容だ。

本書での人工冬眠法では、血液を入れ替えるという方法を取っているが、この根拠となっているのは、米国ピッツバーグ大学の研究と思われる。20年ほどの研究を経てついに2004年、イヌの血液を低温の生理的食塩水に置き換え、一過性に心拍停止状態にし、外科手術を行うことに成功した。血液が無くなると種々の機能が損なわれるが、低温にしておくことにより、細胞のダメージを極力防ぐというのがポイントだ。これに対し、米国フレッド・ハッチンソン癌研究所のマーク・ロス博士は、線虫の仮死状態にヒントを得て、2005年に硫化水素を用いた方法で数時間程度の人工冬眠状態をマウスで成功させている。この方法であれば、血液を抜き取る必要はない。

だが、そもそも、人工冬眠の研究には日本人研究者が関わってきたことを伝えておきたい。元三菱化学生命科学研究所の近藤宣昭博士は、シマリスを用いて冬眠の基礎研究を行い、1992年に冬眠の鍵となる特別なタンパク質を見出した。詳しくは、近藤先生が書かれた『冬眠の謎を解く』(岩波新書)をご参照あれ。同研究所が2010年に閉鎖された後、近藤博士は神奈川科学技術アカデミー(KAIST)のプロジェクトとして冬眠研究を行っていたが、この組織も再編され、現在は近藤博士の弟子筋と思われる高松信彦教授(北里大学)が続けているようだ。

もし画期的な人工冬眠法ができたら、現在、交通事故等で負傷した方を離れた病院まで搬送するのに役立つ。さらに長期間可能となれば、本書のように治療法の無い難病の患者を将来、救うことができるかもしれない。あるいは、宇宙飛行士が遥かな惑星まで到達するのに人工冬眠状態となってロケットで運ばれていくということが、SFの世界ではなく、現実のものとなるのかもしれない。折しも、内閣府が中心となって進めようとしている「ムーンショット型研究」の例として挙がっている25のミッションのうちの一つが「人工冬眠」となっている。

本書にはこの他にも、AIを用いたロボット手術や、遠隔手術、臓器移植、安楽死等、未来の医療を考えるヒントがたくさん散りばめられている。なので、本書を来年度の医学部生への「お進め本24冊」の中に含めようと思ったところ。もちろん、ヒューマンドラマとして涙腺が緩むところもエンターテイメント。

【参考リンク】
週刊ダイヤモンド「大人のための最先端理科」拙コラム:第65回不老不死も夢ではない!? 冬眠はコントロールできるか(2016.4.23)
内閣府:ムーンショット型研究開発制度(2019.7.31)(PDF)



by osumi1128 | 2019-08-13 07:47 | 書評 | Comments(0)

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