『ケーキの切れない非行少年たち』を読んで考える医療と教育の間

『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治著、新潮新書)タイムラインで流れてきて思わずKindle1クリックで一気読み。児童精神科医で医療少年院で法務技官としての経験もある著者が、いわゆる「非行」に走る少年少女の診断や介入の経験から、その背景に「軽度の知的障害」があることを指摘した新書です。
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現在、知的障害者の定義は「おおよそIQが70未満」として、人口の約2%が該当すると見積もられているとのこと。ところが、1950年代の定義では「IQ85未満」となっていたので(そんなに大幅に変更して良いことなのかびっくりしましたが)、もしこれらの年代で割合に変化が無いとすれば、IQ70〜84の「かつての軽度知的障害者は14%」存在することになります。

また、仮に児童向けウェクスラー式知能検査(WISC)で測られるIQの値が98であったとしても、その「下位指標」の値の中で劣った部分があって、例えば「ワーキングメモリ」が悪いとすると、実際、就学して種々の学習を行う上では大きな困難が生じることになるでしょう。さらに、このような「知能検査」では、「社会で必要とされる柔軟性、対人コミュニケーション能力、臨機応変な対応」などは測ることができません。先々のことを想像する能力も大切です。「知的には問題が無い」として片付けられてしまうと、支援の手は届かないでしょう。

著者によれば、これらの境界領域方の多くは、小学校2年生くらいの時点で種々の問題が明確になるものの、「IQ70クリア」であれば特段の支援を受けることができずに学年を重ね、中学2年生くらいの頃からドロップアウトしてしまうケースが多いとのこと。

タイトルとなっている「ケーキの切れない」少年は、丸いケーキを「三等分して下さい」という課題を目にして、3つの扇形に分けることができないという事例。さらに、若干複雑な図形を「写して下さい」という課題に対して、普通の人が見たらまったく同じ図形には見えないような絵を書くとのこと。この部分、実際に挿絵を見ると衝撃を受けます。

Society 5.0という時代に必要なスキルは、農耕時代や第一次産業革命後とは異なります。単純な作業を毎日、繰り返せば良いということではないのです。一見、単純そうに見えるコンビニのレジ係であっても、客に合わせた臨機応変な対応が必要となる場面はあるでしょうし、せっかく仕事を覚えても、種々のシステムが短い感覚で変更となる可能性は多いのではと想像します。

著者は医療少年院勤務の経験をもとに、いわゆる「認知療法」でこだわりを無くしたり、気持ちをコントロールすることは、上記のような境界領域の少年にはとても困難であろうと述べています。認知療法は、介入者の話を理解できるだけの知的レベルが無ければ成り立たないのです。著者は、そもそもの支援となるような「コグトレ」(認知トレーニング)を提唱しています。

境界領域の子どもたちを就学時にどのように救うか、個人個人に合った教育ができることが理想なのですが、現実にはそのような子どもたちは、医師、心理士、教師のいずれの支援の手の隙間からも滑り落ちてしまっているのかもしれません。


……本書を読みながら、もう一つ、別のことに思い至りました。それは、高等教育の現場でも、入学する学生それぞれのレベルに合った教育ができているかという問題です。「大学院重点化」を経て、それまでの時代には大学院に進学しなかった層の学生が大学院に入学するようになったものの、その教育は「教員の背中を見て育つ」レベルから十分に変革できていないというのが実態としてあると思います。

研究不正の増加の背景には、成果主義、商業主義、競争激化などの「機会要因」もありますが、理解できないことに対して、「手っ取り早い解決策で済ます」という対応は、本書で取り上げられたような少年の行動パターンとの類似性を感じます。実際、研究不正に関するセミナーの折、言語学が専門の方から、「盗用の背景には、文章を書く能力に欠けていることもあると思います」という主張を伺ったことがありました。

まだ何度か読み直して反芻する必要がありますが、この書籍が多くの方に届くと良いと思って拙ブログに書かせて頂きます。



by osumi1128 | 2019-08-19 00:06 | 書評

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