「女子大生の日」は8月16日ではない

日清ラーメンによれば、本日8月25日は「ラーメンの日」とのこと。毎日必ず何かの記念日になっている。実は、10日ほど前の8月16日が「女子大生の日」とウェブ上に載っている他にもあり)のだが、それは間違いであることを指摘しておきたい。

1913年に、東北帝国大学(当時)は日本で初めて、女性の入学を許可した。上記の「女子大生の日」のサイトには以下のように書かれている。

 1913(大正2)年のこの日、東北帝国大学(東北大学)が女子受験生3人の合格を発表しました。
 これが日本で初めての女子大生の誕生でした。
 そのうちの一人は日本最初の女性理学博士となった黒田チカでした。

だが、実は合格発表をしたのは実は8月16日ではない。これは、いわば「リーク報道」が為された日に基づいている。

元史料館の永田英明先生が「産学官連携ジャーナル」に寄稿した文章「日本初の女子学生誕生」には、8月9日に当時の文部省から東北大学総長(その当時は北条時敬)宛に、「女性を帝大に入学させるようなことは前例がない」といって大学側の態度を質す書面が届いたのだが、8月13日に入学者名簿(女子学生3名の名前を含む)を文部省に報告とある。


いずれにしても、当時の帝国大学は今の欧米の大学と同様に9月入学であり、8月初旬に入学試験(体育実技などもあったらしい)が行われ、合格発表が為された。人数もさほど多くなかったので、そのくらいのロジで大丈夫だったのだろう。

日本初女子学生入学のエピソードで私が必ず伝えるのは、本学の理念の1つ「門戸開放」は、「女子学生のために」門戸を開放したのではないということ。当時、いわゆる旧制高校(第一高等学校等、男性に限る)の卒業生にのみ許されていた入学資格を、師範学校の卒業生や高等教員免許を持っている方にも開放して「傍系入学」を認めたのだ。日本で3番めの帝国大学として、より広く、優秀な人材を集めたいと考えたからである。まさに、ダイバーシティ&インクルージョンを先端的に進めようとしたのだ。

そして、ならば制度をうまく「利用」できると考えた方がいた。それは、当時、東京帝国大学の教授であった長井長義。彼は東京女子師範学校や日本女子大学校でも非常勤講師として教えており、その生徒の中で優秀な女性がいることから彼女たちに受験を勧めたのだ。日本女子大学校の丹下ウメはそのままでは資格が無かったので、高等教員免許を取得させた上で、入学できるようにしている。

つまり、日本で初めての女子大生誕生の裏には、良きメンターの存在がある。入学後も、真島利行が上記の丹下ウメや黒田チカを親身に指導し、両者は博士号を取得してそれぞれ母校の教授となった。

もう一つ、この3名が入学したときの年齢だが、数学の牧田らくが一番若くて24歳、化学の黒田チカは29歳、丹下ウメにいたってはなんと40歳だったのだ!(年齢は東北大学萩友会HPに基づく)。まるでリカレント教育受講者のような年齢であるが、学び直しではなく「学び足し」として、高等教育機関に進学してきたのは、チャレンジ精神に溢れていたと想像する。きっと、マジョリティである旧制高校出身の男子学生は、かなり幼く見えたことだろう。


ともあれ、東北大学としては8月16日は「正式な日ではない」ので、女子大生の日をきちんと発表したいと思っています♫ 乞うご期待!

画像は2013年に東北大学女子学生入学百周年を記念して作成したロゴマークです。当時の袴姿である女性の手には試験管(化学を表す)、着物の紋として「七曜紋」(数学の空間充填問題を表す)、色は黒田チカの発見した紅花色素を表す「くれない」、3名の女性を3つの花で示しています。
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【関連リンク】
産学官連携ジャーナル:日本初の女子学生誕生(2013年12月号)
東北大学女子学生入学百周年記念事業HP:女子学生の歴史
東北大学ポケットガイド・テクルペ:中学生がご案内!東北大学史料館①(2018.12.25)
花束書房:日本初の女子大生・黒田チカ(2019.2.6)←入学時の年齢に違い

【書籍】
黒田チカについての1章あり。長井長義、真島利行らからの影響についても言及。


by osumi1128 | 2019-08-25 09:55 | ジェンダー

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