連休初日、学内で開催された講演会に行ってきました。
学士会・東北大学・東北大学萩友会共催による「東北講演会」で、大野総長からの開会挨拶の後、初代(前)災害科学国際研究所所長であり、現在は宮城学院女子大学の学長を務めておられる平川 新先生が「伊達政宗が生きた時代の日本と世界」というタイトルで、グローバルな視点からの日本の近世史について語られました。
会場のさくらホールは満席でした。公開講演会だったので、同窓生に加えて市民の方も多数参加されていたものと思います。
私にとってこの休日の講演会は、普段聴いたことのないお話を伺い知的な刺激を得るという意味では、充実した余暇としての時間でもありましたが、実は、12月の第16回男女共同参画シンポジウムのご来賓として平川先生をお呼びしているということもあり、ご挨拶をしたかった、という意味もあります。平川先生の宮城学院女子大学は、9月に「心は乙女な男性」 を受け入れる方針であるという発表をされ、広く報道にも繋がりました。そのような観点からお声がけさせて頂きました。
つまり、講演会に参加して平川先生にお目にかかるというのは、共同参画担当の副学長としては「業務」と言えなくもないことになります。
また、片平のオフィスに立ち寄って少しメール処理なども行いました。その中には論文投稿に関するものもありました。これは研究者としての活動になります。私の立場では、休日出勤の分をどこかで埋め合わせるということは行いません。行えないということではありませんが、空いている日が無いのです(苦笑)。
さて、今年度より「働き方改革」が遂行されることとなり、本学でも始業・終業のチェックを行うこととなりました。部局長連絡会議の折にも「研究者にはそぐわない制度である」という意見が相次ぎました。
研究は朝9時から夕方6時までで完結するというような仕事ではありません。実験条件によっては、夜中に作業をせざるを得ないこともありますし、集中して長時間実験することも、誰かに押し付けられて行うのではありません。アルキメデスの「Eureka!」のエピソードで知られるように、お風呂に浸かっていてもアイディアを思いつくことはあるでしょう。「シンポジウム」の語源は「共に飲食する」ことですが、研究者同士が集まって食事をしながら意見を交わし合うことも研究の一部です。私は明け方に良いアイディアや論文の文章を思いつくことが多いのですが、睡眠時間にも記憶の整理が為されているのかもしれません。つまり、寝ている間にも研究はできる訳です。
いわゆる文系の先生方の反対意見は「大学に出勤しなくても就業している」という主張でしたが、理系の方からは「学生指導や論文執筆のために夜10時過ぎまで研究室にいる場合、自己研鑽とは言い難い」という点が問題視されていました。分野による意識や問題点の違いも大きいです。「自己研鑽の時間帯に事故が起きたらどのような対応になるのか?」という点も論点になりました。
正直言って、研究者の立場からは、この新しい法律は極めてやっかいです。おそらく芸術の世界なども同様でしょう。ただし、労働者の健康を守るという意味で、長時間労働等は避けなければならないことは当然です。また、日本の長時間労働をいかにして減らすかという意味で、会議を減らす、一堂に会さず遠隔参加でもOKにする、時間を短くする、IT活用によるペーパーレス化、システム化等を進めることなどは重要です。
現代社会における働き方には多様性が必要です。時間単位で就業するのが向いている業種と、そうでない業種があります。研究者でも、子育て世代の方などで「今は9時ー5時で働きたい」という方とそうでない方がいても良いのではないでしょうか。ぜひ、自己申告による例外規定などを作って頂けないかと思います。
【参考】