父は本の虫でした。活字中毒と言ってもいいかもしれません。亡くなるまで住んでいた新宿のマンションは、区の図書館の分館まで歩いて数分であったこともあり、途切れずに本を借りてきて読んでいました。
書くことも好きで、今回、23日の「偲ぶ会」のために日鯨研の方々がまとめて下さった冊子によれば、英語論文は200編以上、和文の報告書等が100編以上、10冊ほどの単著、共著の書籍がありました。
父は科学者であっただけでなく、水産庁の行政官でもあり、困難な論点を含む捕鯨という分野を専門としていたため、啓発書を書くことも大事であると認識していたのだと思います。
……「思います」と書かざるをえないのは、お互いの会話がとても少なかったからです。父は基本的に無駄なことを喋らないタイプであり、とくに自分のことを話し言葉で他人に伝えることに抵抗を持つ傾向がありました。私も同様に、社交性はある方ですが、本質的に社会性があるかというとそうではないので、話さなくても済むなら、その方が有り難いという自閉性があります。あるいは、書いてコミュニケーションする方が安心です。
その父と一度だけ旅行に行ったことがありました。エジンバラで国際捕鯨委員会(IWC)が開催されたとき、私もちょうど大学院生で、発表する国際会議が同じエジンバラだったのでした。当時、貧乏な研究室だったこともあり、国際会議出席は自腹なので、父のホテルに転がり込むのが得策と思ったのでした。
1980年代の終わりで、捕鯨反対運動の団体が会場のホテルを取り囲み、朝から晩までシュプレヒコールを上げるという状況に私自身も巻き込まれました。ついでに言うと、父の鼾が酷くて、時差もあって眠れず、散々な目に会ったエジンバラでした……。
科学的に正しくても、それだけでは通らない。
ファクトをどのように見るかは、立場によって違う。
とにかく、対話は続けなければならない。
……そんな風にエジンバラで感じたことが、私自身、一般向けの書籍を執筆することも科学者の務めとするポリシーに繋がったように思います。
さて、上記の
『クジラと日本人』はこのたび12月16日付けで重版出来となりました!(上記画像は初版のときのもの。今回は帯は付いていません)
重版された岩波新書が、多くの方の元に届き、「持続捕鯨」についての理解が浸透することになれば、父もようやく無事に成仏できるのではと思っています。
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生前に行われていた産経新聞と英語ニュース・オピニオンサイト「JAPAN Forward」とのインタビューをもとに追悼記事が掲載されていました。