礎の学問:数学
2006年 05月 07日
日本数学会では,科学技術に応える数学を真剣に考えたいということで下記の通り,シンポジウムを行います.
ということで、
「礎(いしずえ)の学問:数学
ー数学研究と諸科学・産業技術との連携」
2006年5月17日(水)13:30〜17:30 日本学術会議講堂
主催 (社)日本数学会・日本学術会議数学委員会
後援 科学技術政策研究所
というご案内を頂いた。
詳細はこちら。
しばらく前にこの会議のポスターを頂き、
仙「・・・(絶句)。ずいぶん、字の多いポスターね」
K「え? そう? 数学にしては薄紫なんて洒落た色を使って、変わったなあと思ったんだけど」
仙「でも、こんなに字が書いてあっても、誰も読まないと思うけど」
K「うーん、確かに、そういえばそうね・・・」
仙「でしょ?」
K「元々数学のヒトって、黒板に数式を書いて講義やセミナーするからね。言いたいことはすべて書いちゃうんだろうね」
仙「でもさ、これって、数学の人たち向けじゃないんでしょ?」
・・・てな会話をEメールでやりとりしていた次第。
でも、どんなときでも、最初の一歩というのは難しいものだ。
躓いたとしても、一歩踏み出すエネルギーは評価されるべきである。
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ところで「ゴールデンウィーク」というのは、戦後に映画産業の方で観客動員のために使われるようになった言葉なんだそうな。
で、NHK的には「大型連休」と言い換える習慣らしいことを、昨晩の「大型連休もさだまさし」という番組で知った(「大晦日もさだまさし」の続編)。
その理由は、カタカナ語を避ける(字数を減らせる→番組欄で有利という意味もあり)とか、「ウィーク」より長いこともあって不適切などもあるが、「ゴールデンウィーク」の恩恵に浴せない視聴者の気持ちを逆なでしない、ということがあるらしいのだが、だからといって「大型連休」と言い直しても同じではないか?
やや天の邪鬼な性格のため、元々人が休みを取っているときに働くことが快感であったりもするのだが、それを他人に押しつける気はさらさらない。
静かな研究室で過ごすのが快感なだけだ。
したがって、週末や休日にラボのデューティーを入れることはないが、メールを送ったりはしてしまう。
思いついたときに送っておかないと忘れてしまうからなのだが、もらった方にはプレッシャーがかかってしまうかな、とは思う。
さすがに電話をかけたりはしないのだが、うちの母は土日夜間にも仕事の電話をする。
相手はずっとそれに慣れているのだろうが、気の毒な限りである。
・・・で、今年の大型連休であるが、その最後にお茶のお稽古のお友達と湯河原の温泉に1泊するという、ワタシ的には非常に世間並みの過ごし方をしてみた。
仙台に馴染んでからは人の多いところに行くのが苦痛で、連休なんてどこへ行くにも、行った先々でも混んでいるのでは、とおっかなびっくりだったのだが、今年はあまりに大型だったために、その最後は皆おうちで過ごそう!という気分になっておられたらしく、旅館も比較的空いていた。
温泉に浸って、美味しい物を上げ膳据え膳で頂いて、テレビドラマ(マチベン&チャングム)を見て、馬鹿話をして・・・という、至極全うな休日を過ごし、ほぼ30時間くらいは、頭からサイエンスを抜いた。
行き帰りの新幹線で、学生から借りた「オーデュボンの祈り」(伊坂幸太郎、新潮文庫)を読んだ。
伊坂の第一作目を文庫本にしたものである。
仙台の沖にある「萩島」という江戸時代以来外界から隔絶している島で起きる不思議な事件を描いているのだが、文庫本解説の吉野仁という方は「シュール(超現実感)」と絶妙に言い表していた。
おとぎ話のような、謎解きのあるような、アリス的世界。
しばらくは全作品を(たぶん借りて)読み続けるつもり。