大学院は何をするところか?
2006年 05月 09日
日も長くて、これから7月一杯は一年で一番うきうきする時期ですね。
食べ物も、子持ちの蝦蛄、海鞘、ガゼ海胆などが目白押しですし。
ところで、5号館のつぶやきさんのところに大学院における教育と研究というエントリーがありました。
その前にも研究と教育についてのいくつかの伝説(追記あり)という関連記事が書かれています。
そのコメントでinoue0さんという方が、学校基本調査というサイトからの引用で、「2004年度で、修士76,000、博士18,000」が入学、という数字を挙げておられました。
これは入学者ですが、実数としての大学院生は、昭和63年に87,475人だったものが、平成16年時点で244,024人(修士博士合わせ)ということです。
詳しくは文部科学省中央教育審議会中間報告付属資料をご覧下さい。
大学院重点化という波は今から10年ちょっと前に始まったと記憶していましたが、数字で見ますと、ちょうど1991年、1992年あたりで急に大学院入学者数が増加しています。
もっとも、大学院生だけが増えたのではなく、1980年で卒業した大学生が378,666名だったものが、2004年で548,897名ということです。
それでも、博士への進学率を%で表すと、4.45%(1980年)が13.98%(2004年)なのですから、やはり大学院生がこの四半世紀の間に3倍に増えた、というのが実感としても合っているように思えます。
以前にも述べたことですが、重点化の「波」に乗り遅れたくないと思った大学関係の方達がいた訳なのですが、そういう方々の多くは「自分の大学にとっての利益」を優先され、国全体としてどういうことになるか、という意識に欠けていたのではないかとという気がします。
25年前よりも、博士を必要とする状況は増えているはずなのに、それを上手く活かせていないのが日本の現状でしょうか。
それ以上に、システムを作るより前に定員だけ増やしたことが大きく問題だと思われます。
押っつけ仕事のようですが、文科省はCOEやポストCOEを打ち出すことにより、資本主義原理によって大学院を篩にかけるやり方に出ています。
まだしばらくの間は、教員も次々と新体制を作るために右往左往することになるのでしょうか。
でも、最終的に大学院生のmajorityがアカデミアに残らないにせよ、大学院(現場)では教員が教育や研究を<楽しむ>姿を示せなければ、産官学どこにとっても良い人材育成の場にはならないと思います。
スキルを教えることは可能ですし必要だと思いますが、<何かに打ち込む>背中を見てもらうことこそ、マス教育ではない、研究室ベースの教育ではないかと考えます。