理系のキャリアデザイン
2006年 05月 28日
雨の日にクルマは本当に有り難い。
本当は歩いて行こうと思っていたが、朝の天気にあっさり諦めた。
今朝、長い上に変な夢を見た。
東大の理学部で講義をすることになっているのだが、その場所を間違えて右往左往する、というストーリー。
本当の本郷キャンパスの建物の配置とは異なるのだが、何故か「東大」ということになっていて、最初訪ねた教室で「ここじゃありませんよ」と言われて、「ああ、間に合わない。タクシーに乗らなければ」とクルマでぐるっと回って、挙げ句、目的(と思われる)教室に着くと「先生、もう時間終わってます。でも何か話すんなら聞いてもいいですよ」と言われたあたりで目が覚めた。
その夢を見ている間に別のことを考えていたらしく、一昨日大学院生が持ってきたデータの意味が突然分かった。
いや、もしかすると、この夢を見る前に気が付いて「ああ、書き留めなくちゃ」と思ったような気もする。
ヒトの記憶はいくらでも上書きされるからアテにならないのだが、ひらめいたことだけは確か。
急いで学生に長いメールを入れる。
本当は会って話がしたかったが、生活時間帯が重ならないことが多いため仕方ない。
データを持ってきたときにもディスカッションしたのだが、ポジティブなデータなのだが、今ひとつしっくりこないのが引っかかっていた。
ほんの2、3日の間だが、脳のどこかで考え続けてくれたのだろうか?
そういえば、集中講義に備えて総説やら論文やらをひっくり返して読みあさっていたが、また新しいネタを見つけた。
脳の中にある細胞の中で、唯一、神経系由来ではない「ミクログリア」というものの起源についてである。
授業をするのが好きなのは、自分の頭の中にある知識をアップデートしたり整理することによって、新たな発見があるからだ。
それは、いくつもの事例の中から原理のようなものを見いだしたりすることもあれば、まだ解かれていない問題を発掘することでもある。
大変残念なのは、こういうアイディアをすべて自分の手で証明することができない点だ。
もっと大学院生がいたらと思うが、どうしたらいいんでしょうね?
世の中には「学生が多くて研究費が赤字です!」と嘆いている先生もおられ、「どうぞうちに送って下さい」と言ってあるが、送り込まれることはまずない。
学生さんも都合があるだろうし。
「鶏口牛後」よりは「寄らば大樹」なのか・・・
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ちょっと寄稿したので岩波書店のTさんから「科学」の6月号が送られてきた。
(そちらは、あとでエッセイ集にアップしておきます)
その特集のタイトルが「理系のキャリアデザインー時代の変化を読む」である。
少し拾い読み的にご紹介すると、「科学のゆくえとキャリアデザイン」(広井良典氏)では、人生前半の社会保障を国際比較すると日本は非常に低い、例えば教育機関への公的財政支出において日本はOECD加盟国30ヵ国の中でトルコを除き最低、高等教育における公的支出の割合については、OECD平均が約80%なのに対し日本は約40%と半分!
つまり、この面だけ取りあげれば日本はすでに十分「小さな政府」となっている。
「理工系人材のキャリアパスと日本のイノベーション・システム」(後藤晃氏)では、理工系の高度な人材の需給調整には、博士号を取得する過程での環境、教育が重要、と指摘し、「マルチディシプリナリーな専門能力を有しており、研究計画を立案し推進しその中に生ずるさまざまな問題に対処する経験や能力を持った」人材を育成する環境を大学が整備することが必要であると述べている。
また、企業はこのプロセスで大学に踏み込んだ協力をする必要があるとも指摘されている。
タイムリーなこの特集に一つだけ苦言を述べると、「キャリアデザイン」の中で「女性研究者・技術者育成」という観点が(第3次科学技術基本計画にも盛り込まれているにも関わらず)抜け落ちていることだ。
編集部でもそれは気が付いていたらしく、急遽、森郁恵さんの「談話をもとに編集部で再構成」という記事を入れている。
他に面白かったのは「備前焼<緋襷>の赤色」を分析した記事(草野圭弘氏、高田潤氏)。
日本の焼き物は西洋や中国と異なり、完成された美しさよりも、自然にできた偶然の面白さに美を感じるところがあり(だからグローバルな感覚にはならないのだが)、須恵器などの灰釉の作る模様や、備前なら「胡麻」「桟切り」「窯変」そして「緋襷」などが偶然の産物として焼き物に「景色」を添える。
「緋襷」の化学成分や微細構造を分析しており、だからといって必ずしも「美しさ」を理解できることにはならないのだが、面白い研究対象だと思った。
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さて、これから授業PowerPointの再チェックをし、パッキングして、明日から1泊で京都出張。