京大生物物理

出張から戻ってきた。
今日夕方は東京にて神経科学学会の理事会にも寄ったので、行き帰りとも新幹線の乗り継ぎだった。
研究室のメンバーの三分の一は入れ違いで広島の発生生物学会に行ったはず(約1名は明日出発とのこと)。
私は別の学会に呼ばれていて、今年の広島はパス。
1年以上前に依頼されたときに、6月だから大丈夫と勘違いしたら重なっていた。
ちょっと寂しい。

*****
京都では何度もセミナーさせて頂いているが、理学研究科でのものは今回が初めて。
生物物理のAさんに呼ばれて集中講義+セミナーだった。

京大生物物理にはご縁がある。
岡田節人先生の時代に、修士の学生だったOさんという方が、博士課程から(なぜか)医科歯科に来ていて、2つ上の先輩だった。
この先輩は、1を聞くと10答えてくれるタイプの知識人であったが、実験は(熱心だが)非常に下手、という方だった。
ラットのお腹を開けて胎児を取り出す実験で、火炎滅菌したピンセットを、アルコール消毒したラットのお腹に近づけたとたん、火柱が上がって火事になる一歩手前だった、という逸話が残っている。
私が研究室に行く前だったので、目撃できたのではないのだが、さもありなんとは思った。

で、この先輩には苦労した。
卒業論文や修士論文を書かずに博士課程に進学した者としては、最初は非常にハンディがある。
初めての論文紹介ではキツイことを言われて思わず涙した(今から思うとなんて若かったのだろう・・・)。
右も左も分からなかったので、この先輩のアイディアを元にして「マウス神経堤細胞のモノクロナル抗体取り」というテーマに着手したのはいいのだが、実験指導をされる際に、じーーーーっと横でwatchされるのが非常にやりにくかった。
彼としては、たぶん自分が実験下手なので、監視していないといけないと思ったのだと察するが、こちらはどちらかというと1回聞いたら上手くできるタイプだったので、うっとうしいことこの上ない。
ナマイキな後輩であったので、先輩の生活時間帯に合わせることはしなかったし(彼は昼前に出てきて、地下鉄の終電までいた)。
最終的にはD2の秋の時点で挫折して「もうこのテーマは止めます!」と宣言し、教授からは「じゃあ、自分でテーマを決めなさい」と言われ、そこから1ヶ月くらいの間、必死に論文をあさって何をするか考えた。
「コレコレについて解析します」と言うと、その先輩は「そんなん、10年前の研究や!」
「10年前でもいいんです。私は学位が欲しいんです!」(売り言葉に買い言葉)
ってな感じで喧嘩になった。

ま、あのときの挫折は精神力を強くするのには役だったし、なんだかんだいって、細胞培養技術や簡単な生化学を教わることはできたし、日々の生活でも議論の仕方などscientificに思いっきり鍛えられたのだから、感謝すべきであろう。
彼は京大時代から有名人だったので、学会で「Oさんの後輩です」と言うと皆に「へー」と印象に残ったことも、決してマイナスではなかったかもしれない。
ちなみに、その先輩は学位取得後留学されたが芽が出ず、その後に弁理士になったと風の便りには聞いている。

・・・という先輩が最初に所属したのが「京大生物物理」だったし、カドヘリンが面白いと思って抗体を頂いたりもしたし、初めて雇った(といっても私の研究費ではなかったが)ポスドクも竹市研出身だし、それ以前から発生生物学会関係では何人もの知り合いがいたし・・・などなど、私にとって思い入れの強い研究室にAさんが戻ってこられた、という訳だ。
で、集中講義の準備にも思わず力が入って、3年前のPowerPointを全面改訂した。

29日の月曜日は午後にちょうどウイルス研の50周年記念シンポジウムがあったらしく、利根川進やらDavid Baltimoreらのゴージャスなメンバーとのことで、Aさんは「学生が少ないかも」と気にしておられたが、修士の学生さん30人くらいを相手に「脳の分子発生学」というお題で講義を行った。
質問の時間を長く取ったが、皆、結構深い質問をしてくるので、とても充実した授業だった。
Aさん、お世話になりました!
by osumi1128 | 2006-05-31 01:24

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