心と遺伝子

このエントリーを数日前から書こうと思っていたのだが、予想外の対応で今日に至った。
『心と遺伝子』(中公新書クラレ、山元大輔著)を著者から頂いて、今週の東京出張の折に読んで、なかなか面白かったのでご紹介したい。

帯には「すべて遺伝子の差!」「遺伝子の仕組みを知って、自分を知る!」と過激なキャッチコピーが踊っている。
だが、これは実は「確信犯」である。
肥満や好色性や体内時計に関わる遺伝子が分かってきた、これは遺伝子の差が確かにある。
ところが、第4章「母親の愛はどのようにして子供に伝わるのか?」は、実は、環境や経験の影響によるエピジェネティクス(後成的遺伝)を扱っているのだ。

元論文はWeaver IC, et al., Nat Neurosci, 2004他であるが、Meany MJという方の一連の研究が第3章から続いて紹介されている。
生まれて間もない仔ラットを毎日少しの時間だけ母ラットから引き離してからケージに戻すと、仔から離された母ラットは(寂しかった仔ラットが超音波でコミュニケーションするためか)必死にその仔ラットを舐め回したりしてケアする。
このような経験をした仔ラットは、大人になってからのストレスに強くなる。
この現象にはグルココルチコイド受容体遺伝子の発現が関係しており、ケアされた仔ラットではグルココルチコイド受容体遺伝子のプロモーターのある領域で脱メチル化が起き、またヒストンのアセチル化も生じていた。(大隅によるまとめ)


この手のエピソードは<使われ方>がきっと一人歩きするのではないかと危惧する。
つまり、共同参画反対論者には格好のネタを提供するのではないかと思うのだ。
「だから、子供には<母親の>愛情が必要です。仕事をして外に出るなどもってのほか」
そういう論調が広がる前に(このブログがどの程度の効果があるかはわからないが)、ネズミを扱って20年の生物学者としての意見を述べておこうと思う。

上記の実験で、仔ラットをケアするのは本当にその仔ラットを産んだ母ラットでなくても同じ結果になることは、日頃、乳母ラットを使っている経験から推論できる。
授乳期のラット(マウスも)は、自分の子供でなくても気にせずケアするのが普通だ。
したがって、ヒトの子供について類推すると、<身近でケアする人>の愛情こもったケアが成長後にも好ましい影響を与えるだろう、と言うことはできる。
また、実は、「一日数分間、母ラットから離す」という軽いストレスが、むしろ好ましい影響を与えているのかもしれない。
ということは、一日中べったり子供に接するよりも、一定時間離れていることによってストレス対抗性を獲得するという可能性もある。

本書は一般向けの本であるから、とかく抽象的で分かりにくい遺伝子の働きについて、非常に分かり易く書いてある。
高校や大学の教養で講義をする生物の先生や、生物関係のアウトリーチや科コミをする方達には参考になると思うので、是非一読をお進めしたい。

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実は、このエントリーもケンケン諤々侃々諤々になる可能性を秘めていますね……
by osumi1128 | 2006-06-10 22:15

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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