脳のフレームワークとニューロンの移動・その2

数日ぶりに仙台に戻りました。
やっぱり京都よりも涼しいのは快適です。
まだ戻っていないメンバーもいて、ラボは少し空いた感じですね。

そうそう、昨日書き忘れたのだが、京都の学会は国際会議だったので、Asia Pacific Perspectives Japan Plus(時事画報社)という雑誌が置いてあり、特集がWomen's Powerで表紙がダイエー会長兼CEOになられた林文子氏だったので手にとって見ると、我が友数学科のKさんも載っていました。

今日のエントリーは書きかけになっていた研究のお話の続きです。
「その1」はこちらにあります。

*******
さて、野村さんはまず、Pax6の機能が失われると、腹側へ移動するニューロンが境界部に留まらない、ということの再現性を調べました。
このためには、終脳の細胞を標識してどこに移動するのかを観察する必要があります。
かつて私自身は、全胚培養という方法で、ラット胚をまるごと試験管(実際はガラスのバイアル)の中で培養し、生体為害性のないDiIという蛍光色素でニューロンの移動を調べたのですが、野村さんはGFPというお馴染みの蛍光タンパクを発現させる遺伝子を、培養胚に電気穿孔法で導入するということによって観察しました。
野村さんは私以上に手先が器用で、全胚培養の技術も1回教えてすぐに自分でもできるようになったので、私が観察したことの再現性はすぐに確かめられました。

次に、この現象が「細胞自律的か、非自律的か」ということを調べました。
これは、多種類の細胞が共存している胚を扱う発生生物学者にとって、とても気になる問題です。
実は、終脳の背側の神経上皮細胞、すなわち、ニューロンになる前の未分化な細胞ではもともとPax6が発現しています。
ところが、ニューロンに分化するとPax6の発現は失われ、でも、そのニューロンはPax6を発現している終脳神経上皮細胞層の表面を移動します。
したがって、Pax6の機能が失われたことの影響が、ニューロンそのものに対するものなのか(細胞自律的)、それとも、移動する環境に対するものなのか(細胞非自律的)を明らかにしないといけないのです。

そこで、GFPを発現するトランスジェニック(TG)ラットを用い、移植する細胞をこのTGラットから得ることにしました。
Pax6の機能が失われた変異体の遺伝子型を持つTGラットから得られた終脳の細胞をドナーとし、正常な野生型のラット胚終脳に移植し、その動きを見ると、ちょうど正常な野生型で見られたのと同じパターンで、Pax6 -/-TGラットの細胞は終脳の背腹境界部にきちんと配置されました。
これに対し、野生型のTGラットの細胞をPax6 -/-胚に移植すると、Pax6 -/-胚を標識した場合と同様に、細胞は終脳の腹側に侵入してしまいました。
すなわち、Pax6の機能が失われたことの影響は細胞非自律的であることが分かりました。

では、このような細胞非自律的な影響というのはどのような分子メカニズムによるのでしょう?

実は、このあたり、論文でのストーリー展開と、実際の研究の順番は異なっていました。
野村さんはまず、終脳の腹側に「進入禁止マーク」が付いていると想定し、そのような「反発因子」の候補について、in situハイブリダイゼーション法により、Pax6 -/-胚で発現の異なる遺伝子を見つけようとしたのですが、各種semaphorinなどを調べてもあまり芳しいデータは得られませんでした。

そこで発想を変えて、「進入禁止解除」となるような効果のある因子がないか、培養系でスクリーニングすることにしたのです。
最初に、全胚培養下で終脳の背側のニューロンをGFPで標識し、その後、終脳を取り出して器官培養系に移し、その培養液にさまざまな試薬を添加してみました。
すると、EphA-Fcという試薬に「進入禁止解除効果」があったのです!
Ephとephrinは特異的に反発効果を持つ細胞表面分子なので、この結果はとてもpromisingに思えました。

では、ということで、各種ephrin類の発現を調べてみると、ephrinA5という分子が野生型胚終脳の腹側に特異的に発現し、この発現がPax6 -/-胚終脳で下がっているということが見いだされました。
つまり、私たちはついに鍵となる分子を捕まえることができたのです。

論文では順序が逆で、先にephrinA5の発現パターンの比較を載せて、問題となる分子の局在をまず示し、さらに、終脳背側から移動するニューロンにはephrinA5と結合できるEphA3という分子が発現していることも示しています(発生生物学における分子メカニズムの証明のための3カ条その1)。
その次に、上記のEphA-Fcを用いた「阻害実験」を述べています(3カ条その2:必要条件の証明)。

次に、もしこのephrinA5を移動経路の途中で発現させた場合(異所性発現)に、移動ニューロンを停止させる効果があるかどうかを調べることにしました(3カ条その3:十分条件の証明)。
これは、全胚培養下で細胞の標識をDiIで行い、そこにさらに電気穿孔法でephrinA5を発現させるという難易度の高い実験でしたが、見事予想通りに、細胞はephrinA5が発現している領域には侵入できないことが確かめられました。
おまけの実験として、Pax6 -/-胚の腹側(進入禁止マーク解除領域)にephrinA5を発現させると、やはり細胞はephrinA5が発現している領域には侵入できず、Pax6 -/-胚の表現型を正常に回復することができました。

さらに、スウェーデンのグループですでにephrinA5のノックアウト(KO)マウスを作製していた方がおられましたので、このKOマウスを供与してもらい、Pax6-/-と同様の終脳神経細胞の配置異常が見られるか、GFP標識してみました。
マウスの輸入手続きに時間がかかり、さらに動物実験施設で飼育するためにクリーンアップしなければならず、本当に実験することができるまでに1年近くかかったことになります。
このあたり、in vivoの動物を扱わなければならない研究は時間とお金がかかるという典型ですね。
でも、結果は見事にephrinA5 -/-マウスでPax6-/-胚と同様の終脳神経細胞の配置異常が観察され、すべての結果が一貫して次のことを示していました。

Pax6はまず終脳の背腹領域区分という脳のフレームワークを作る。
終脳の背腹境界を目印として、終脳背側で生まれて腹側へ移動する神経細胞が配置される。
終脳の腹側にはephrinA5という反発因子が発現することにより、終脳背側で生まれて腹側へ移動する神経細胞が侵入できない。


実は、論文では違った観点のreviewerに当たり、こちらにとってはあまり興味のない追加実験を要求され、3ヶ月の間にそれをこなしてデータとして載せていますが、私から見れば上記の本質とは異なる、枝葉末節のことだと思っています。
私たちの作品には必要のないことと思いましたが、論文を早く通すために従いました。
改めてこうして1本の論文が出来上がるまでを振り返ってみると、なかなか感慨深いものですね。

*****
さて、上記の内容を読まれた方で、「え?おかしいんじゃない?」と思われる方がおられましたら、するどい!
で、その答えは論文の中に書いてあります。
by osumi1128 | 2006-06-23 01:13

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